未来日記

未来日記

いつも鬱々としていた丸の内OLの日誌。人生をポジティブに変えていくのは、自分の行動次第。

過去と他人と自分は変えられない。でも、未来は変えられる。

先週、9年ぶりに会う友人と飲んだ。
 
 
久しぶりすぎる再会に、待ち合わせまではドキドキしたけれども、実際に顔を合わせると二人を隔てていた時間や空間が瞬く間に消えていった。
 
心の奥底にしまっていた思い出がポップコーンのようにポンポンと飛び出し、くだらない話に花が咲き乱れた。

 
そして、10年間同じガラケーを使い続けてきたという彼が、サプライズお土産にと、画像フォルダーの奥底から、ある写真を送ってくれた。18歳の大学1年生の頃、所属していたマジックサークルの発表会の後、初恋のA君と一緒に写っている一枚だった。
 

余りもの懐かしさに、口に含んだマリブオレンジを噴出した。

 
心の奥にある引き出しがまた、ひとつ開いていく...。

 

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18歳当時、予想以上に受験生活が長引いたAくんを横目に、私は呑気にエレベーター式に大学へ入学し、典型的な大学生活に明け暮れていた。入学後、迷わずに手品サークルへ入部したのも、ジャグリングが趣味だったAくんの気を引きたかったから。彼が発表会に来てくれたように高校時代から2年ほど仲良くしていたが、晴れてAくんが受験を終える頃には、超新星爆発程の大喧嘩を引き起こし(9割方私の有責)、音信不通になってしまった。
 

「Aくんは、今どうしているの?」
 

写真を凝視しながら、恐る恐る聞いてみた。

「それが、誰も連絡がつかないんだ。」
 

Aくんと同じ大学に在籍していた彼は、気まずそうにウーロン茶をすすった。
 

「超難関の海外大学院まで進んだことは知っているけれども、辞めてしまったらしく、その後はどの友人も連絡がつかない状態なんだ。」
 

人一倍努力家で、プライドが高くて、他人に弱みを見せることが苦手なAくん。高校時代に、部活でキャプテンを務めていた時も、練習をさぼりがちな後輩を直接注意することが出来ずに、「背中で見せることで、相手自身に気付かせる」という地味な戦略の元、一人黙々と更に練習に打ち込んだ。受験勉強が長引いた時も、周りの友人との連絡をすべて絶って、孤軍奮闘していたAくん。「エースをねらえ」をバイブルとして、昭和のスポ根を地でいくように、いつも自分を追い込んでは高みを目指し、決して諦めたりしなかった。

 


そして9年たった今、再び人生の挫折に面した彼は、大学受験の頃と同じように、またもや今まで積み重ねてきたすべてのモノ(人脈、実績等)を一旦リセットして、0からやり直そうとしている。なんと、Aくんらしい行動なんだ…。彼は全く変わっていないなと、思わず息をのんだ。
 

翻って、わたし自身はどうだろう?9年間で何か変わったのだろうか。
そう思って、再び、写真に目を戻した。

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Aくんの前にいた、感情むき出しで、人間ブルドーザーよろしく突っ走っていたわたしはもういない。(さぞかし迷惑であっただろう)18歳の頃のように感情の赴くままに奇行/狂言を発することは少なくなったが、それは「理性」と「友人からの忠言」をミルフィーユ状に何段も積み重ねて、自身の衝動的な暴走を抑えることが昔と比べて少しばかり上手くなっただけのことだ。 

当時と比べて、体重も13キロ落ちた。これも、強靭な精神力を身につけたわけではなく、ネットサーフィンという過食以外のストレスのはけ口を見つけたから。
 

つまり、私の本質は何も変わっていない。
 

周りを頼れずに、自分で抱え込んでしまうAくんを見て、どうしてそんなに、苦しい生き方をしているのだろう?もっと楽に、器用に生きたらいいのにと、当時は何度も疑問にも思っていた。でも、これが、彼の美学であり、生き方であり、本質なんだと、9年間の年月を越えて、改めて深く納得した。
 

今年、たくさんの時間を一緒に過ごした人から「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」と、耳タコができるほど聞かされた。
 

でも、本当は、自分ですらも、変えることはとても難しい。

 
皆、「自分くらいは変えられるはず。変えなければいない」と過信するから、苦しくなる。

 
頑固で、プライドが高い自分。
時には自信に満ち溢れ、時にはコンプレックスに振り回される面倒くさい自分。
傷つけられたことには敏感なのに、他人の痛みには鈍感になってしまい自己嫌悪に陥る自分。
 

数十年間積み重ねてきたちっぽけだけど強靭な自我を、意志の力で変えることは、不可能に近い。

 
でも、自分は変えられなくても、自分の扱い方を知ることは出来る。
 

9年間を経て、向かう方向性も夢もないわたしのままだけれども、自身の得意/不得意は少しずつ分かるようになってきた。
 

相変わらず、外見コンプレックスは強い。でも、自分に似合うメイクや服装を知ることで、自分が自分で良かったと思える頻度を増やすことが出来た。
 

ついつい他人と比べたり、羨んだり悲しくなる癖も相変わらずだ。でも、要所要所で諦めがつくようになり、その分生きやすくなった。

 
自分の扱いがうまくなったら、目の前の問題をひとつひとつ紐解くことができるようになる。
そして、目の前の問題が解決できれば、未来は変わる。
 

だから、過去と他人と自分は変えられない。でも、未来は変えられる。

 
Aくんも、きっと、わたしの知らないどこかで、不器用ながらも真っすぐに、一筋縄に行かない「自分」と格闘しているのだろう。そして、持ち前の愚直さを活かして、また不死鳥のように野心を燃やしながら、立ち上がっていくのだろう。
 

人生でたくさんの時間を共有し、近くで笑った彼は、今はどこにいるのかも知りえないほど遠い存在になってしまった。
 
そう考えると、どうしても、心がきゅんと痛くなる。やっぱり、いくつになっても、切ない気持ちは苦手だ。

でも、どうせ心から離れないのであれば、悲しみや寂しさではなく、愛と祈りをおくろう。いつまでも、どこにいても、幸せでいてくれますように、と。
 

きっとこれが、わたしが9年間かけて培ってきた、賞味期限切れの恋心に対する一番マシな取扱方法なのだろう。

シンゴジラにみる最強の恋愛戦略

巷では完全無欠コーヒーが流行っているが、私はひょんなキッカケで、完全無双デートたるものを、発見してしまった。

 

本戦略は、非常に強力だがやや刺激が強い為、女性諸君には、申し訳ないがそっとブラウザを閉じてほしい。そして、男性諸君は刮目して一句一文脳裏に焼き付けて、実践に生かして欲しい。

 

まず、完全無双デートとは、気になるあの子と4DMXの映画館でシンゴジラを鑑賞することである。君は今、「なんだ、そんなことか」と落胆しただろうか。完全無双であるための第一条件は、万人が再現可能な戦略でなければならない。よってシンプルで当たり前なのだ。

 

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デートの成功率とは、下記3点に定義できる。


①デートのオファーを承認してくれる確率


②デート自体への満足度


③気になるあの子の自分への好感度の上昇率


ひとつひとつ説明しよう。
まず、①デートの承認率は、「気になるあの子が君に持つ好感度」、そして「提案されたプランの魅力度」の2点で決まる。「気になるあの子が君に持つ好感度」が高ければ、芋掘りでも葬式同席でもどんな提案でも100%承認される。よって今回は、好感度は限定的であると仮定する。君が現時点で未だ、気になるあの子の心の中でミジンコ程度の面積しか確保出来ていないのであれば、「提案されたプランの魅力度」1本で勝負するしかないだ。その点で、映画館という提案は、1:1で数時間ご飯を食べることと比べれば非常に気楽である上に、シンゴジラは現在タイムリーな話題作である為、承認率向上の強力なサポート材料となる。


次に、②デート自体の満足度を見てみよう。
デートの満足度は、下記2点に依存する。

 

1.コンテンツ力
2.女性側のコンディション

 

コンテンツ力は、デートの中身や2人の会話の中身だ。


東宝が始まって以来の予算を掛けた期待の大作だけあって、シンゴジラの映画の中身がまず抜群に面白い。少なくとも、社会人のアラサー女性の友人達からのウケは、100%であった。


君が島田紳助松本人志並のトーク力を発揮して彼女を抱腹絶倒させる自信があったり、すきばやし次郎やロブションといった女性誰もが憧れる場所に彼女を連れて行きたいと思えるの程の気合と経済力があるのならば、其れでも全然構わない。だが、そこそこの労力とコストで確度の高い結果を得たいのであれば、4DMXでシンゴジラに勝るものはないだろう。


次に女性のコンディションとは、体調や気分等、君自身がコントロール出来ないものだ。こればかりは運に頼りざるをえない部分があるが、4DMXのシンゴジラだったら、どうだろうか。


先ず、4DMXの場合、映画館の座席が揺れる。ハンパなく揺れ続ける。それによって、2時間半の間、彼女は絶え間のない吊り橋効果に晒されて、否応なしにドキドキし続けてしまう。そして、ランダムに吹き付けられる風に対して、「キャッ!」と叫びながら、君に寄りかかってくるだろう。そう、いゆわる吊り橋効果とお化け屋敷効果の魔のダブルコンビだ。


そこで君は、「なんだ、そんなものが怖いのかい?」と直立不動で椅子に腰掛けながら、余裕の笑みを浮かべて彼女の手を握ってあげよう。

するとたちまち彼女は、無意識の内に映画の中でシンゴジラに立ち向かう長谷川博巳と、隣にいる君を重ねてしまうのだ。

「まぁ、ビクともしないなんて…なんて男らしくて、格好いい人なの……!」と。


そして、仕上げの③気になるあの子の自分への好感度の上昇率だが、これは、②デート自体の満足感と比例しているといっても過言ではない。つまり、彼女に楽しいデートだったという記憶を強くインプット出来れば、君への評価も自動的に連動してうなぎ登りに向上せざるをえないのだ。


その点で、シンゴジラを4DMXで鑑賞するというデートでは、君は6000円の映画チケットと700円のポップコーン代を支払いした後に2時間半彼女の横で一言も発せずに鎮座するだけで、東宝が数十億を掛けたコンテンツで彼女を楽しませ、揺れる椅子と送風口が彼女にドキドキ感を演出してくれる。その結果、彼女は君自身が、楽しくてドキドキするデート相手であり、荒れ狂う環境下で自分を守ってくれる男らしいヒーローだと錯覚する。


そして、映画を見終えた後、長時間の緊張感から解放された彼女の脳内では、オキシトシンというホルモンが放出されている。よって、君のどんな発言に対しても、好意的に捉えてくれるのだ。

そのボーナスタイムを見逃してはいけない。


「映画の前半は、正に自分の会社を見ているようで…、参ったよ。」
→まぁ、毎日ストレスに耐えながら、真面目に働いているのね、素敵。


「僕の会社がシンゴジラに壊されたシーンは、とても快感だったよ」
→まぁ、あんな綺麗なビルで働いているのね。高スペ、素敵。


放射能を撒き散らしたり、無人飛行機を操る辺り、リアルで現代的だよな」
→まぁ、考察力が、高くて理系チックで素敵。


ゴジラが襲ってきたら、俺が絶対に君を守るよ」
→まぁ、なんて頼もらしいの!!!!!!素敵!!!!!!
(発生確率0の事象にコミットしても、君の誠実度は1mmも毀損されない。絶対悪であるシンゴジラスケープゴートに、ブンブン君の正義感を振りかざそう)

 

夏の終わりと、恋の始まりに。

Good luck !

恋心に駆られた女子高生が、大学医学部の解剖実験に乗りこみ、遺体に靴下を履かせた話。

仕事も、恋も、何事も引き際が一番難しい。
  
早く引きすぎれば、逃げてしまったのではないか、もっとやれることがあったのではないかと、自分を責める。
   
ズルズルと続けてしまった場合は、決断力、方向転換する勇気のない自分を恨む。
   
引き際において、100点満点の答えはない。後悔はつきものだと、最初から織り込んでおくべきだ。

    
いつか、油絵を描く画家に問いてみたい。
最後の一筆はどこで、どんな心境で、終わらせたのか。
もっとあの色を重ねてみよう、これを足してみようと絶え間なく筆を進めたその先に、どうやって終わりを見いだせたのだろう。
   
仕事だって、恋だって、続けることは意外と簡単だ。
「向いていないのではないか。愛されていないんじゃないか」という心の声に蓋をし、無難に1日をやり過ごせば良い。
   
お金、空虚感、孤独感。
止めることによって失われるものを数え上げて、心を脅せば良い。
   
我慢が足りない、もしかしたら好転するかもしれない、相手が変わるかもしれない。
一縷の望みに掛けて、自分の人生のドライバーズシートを明け渡せば良い。
   
時には、本当に踏ん張って続けた方が良い時もあるだろう。
   
続けるべきか、辞めるべきか。
その際の見極め方は、とてもシンプルだ。
「続ける自分。辞める自分。どちらが好きか?」と心に、問いてみればよい。
   
どちらの方が成功するとか、得なのか、正しいのか、皆からどう見られるかとか。
   
そんなことはどうでもよい。
   
どんなに出来の悪くたって、お金にならなくたって、愛されなくたって、世間から認められなくたって、それを続けている自分を誇れるのであれば、好きであると言い切れあるのであれば、辞める理由はなんてどこにもない。

   
逆に、どんなに正しくて、格好良くても、それを持ち続けている自分に違和感を感じるのであれば、その時点が引き際なのだ。

   
私の座右の銘は、「やらぬ後悔より、やる後悔」であるため、飛び込むことは得意でも、引くことはとても苦手だ。引きずるわ、後悔するわで、往生際の悪さ極まりない。あがいで、しがみついてはそんな自分に嫌悪感を抱いて、涙しながら、少しずつ手放して、それでも立ち止まっては振り返って、また涙して…を幾度も繰り返してきた。その内、少しずつ直感が研ぎ澄まされて、行き過ぎることがなくとも、「ここが引き際だよ」と心がぴったりの場所を教えてくれるようになった。

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高校生2年生の夏。
私は、学校近くの書店でふと「理Ⅲへの道のり」という名の東大医学部への合格体験記を手に取って、パラパラと立ち読みした。如何にも勉強ができますといった秀才タイプから天才タイプ、様々な合格者が顔写真とともに晴れ晴れと掲載されている中に、度肝を抜かすようなイケメンがいた。Tさんである。
  
  
当時、大学3年生のTさんは、その本に自分のメールアドレスを掲載しており、「家庭教師先募集」との一文が添えてあった。私は即座に親から買い与えられたばかりの携帯電話を取り出して、彼のメールアドレスをメモした。だが、東大理Ⅲ生の家庭教師の相場は時給6000円。普通家庭のうちにそんなものを払える余裕がない上に、私は早稲田実業という大学系列の付属の高校に通っており、大学受験の意志すらなかった。

  
でも、背に腹は変えられない。
「東大を目指している高校2年生です。ぜひ話を聞かせてください」と、メールを作成して、彼へ送った。
   
人生初のメル友が出来た。
   
開成高校卒の茶髪イケメンのTさんは、言うまでもなくモテにモテて百戦錬磨であり、デブで垢抜けない女子高生に目をくれるはずもなかった。しかし、あまりにも無謀な私を面白がってくれたのか、意外にもメールでのやり取りは続いた。
    
そして、東大を目指しているといった手前、引けに引けなくなったことが、日に日に私の悩みの種となっていた。
  
鉄緑会の一番上のクラスに合格したら、デートしてあげる」

そんなことを言われた日には、必死に勉強して、都内最難関の塾である鉄緑会の入塾説明会を受け、クラス分けテストを受けた。
  
結果、3回受けても、入塾すら認められなかった。
   
デブである上に、学力もない。
私は困り果てた。これでは、Tさんに会えない。
  
そこで、わたしは強硬手段に出た。
来る10月3週目の水曜日、高校の創立記念日に、私は東大医学部に乗り込んだ。授業に潜り込んで、Tさんを一目見てやろうという魂胆である。度胸だけが私の味方だった。
  
  
ドキドキしながら、医学棟にたどり着いたがいいものの、当たり前だが、Tさんのクラスが分からない。学生課まで行き、職員さんに時間割を調べてもらった結果、不運にも水曜日の午後は、3年生は3コマ続きで人体解剖の授業が入っており、部外者は絶対に立ち入ることが許されないと知らされた。

「ここまで来たのに…。」
医学棟そばのベンチで缶コーヒーを握りしめながら、私は、絶望した。
  
「これでは、一生Tさんに会えない…!」
自分を奮い立たせて、学生課に再び駆け込んだ。
  
「私、今東大2年生で、進振りで医学部への編入を考えているんです。解剖学に興味があるのです。お願いです、どうか、一度でいいから、見学させてください…!!」
  
   
職員さんは、引き下がらない私に困り果てた。あまりものしつこさに、教授につないでくれた。そこで、私は渾身の演技で再び頼み込んだ。

  
「人の臓器の仕組みに興味があります。今日はどうしても解剖学の授業を見学したく、駒場から本郷まで来ました。お願いします!見学させてください!」
  

教授の先生は、少し迷って考えたあとに、私に白衣とマスク、帽子を差し出した。そして、私は先生に連れられながら、人体解剖の実験室に入ったのであった。

 

人体実験の教室に入ると、6人ごとの机の上に遺体が横たわっていた。

東大医学部は1クラス100人前後いるため、15机に1つずつ検体が割り当てられる。計算外のことに、学生達は皆マスクと帽子を装着していたため、当たり前だが私は一人一人の顔を確認する術がなかった。
   
結果として、私は最後までTさんを見つけることが出来なかった。
   
 
検体された遺体は普段はホルマリン漬けにされており、実験の時のみ外気にさらされるため、四肢の皮膚は特に乾燥が進みやすい。よって実験が終わると、手には軍手、足には靴下を履かせる。さすがに私は遺体にメスを入れることはできなくとも、これくらいならばと、教授は優しく私に、見本を見せた後に、左の靴下を手渡してくれた。
  

ここまで来て、周りに迷惑をかけながら、私は何をやっているのだろう?

靴下の中にしわしわな足を押し入れつつ、私はマスクをした学生の中、唯一顔が露出している遺体と目を合わせながら、途方に暮れた。
  
勢いと度胸と勇気だけでは、必ずしも願いは叶わないと知った一日だった。
  
後日談だが、私はTさんを見つけられなかったが、Tさんからは実験に突然飛び入りした私のことはばっちり認識していたらしい。
  
「お前ほどアグレッシブなやつは見たことないよ…。」と呆れながら  。
 
そして、実験を見学した後、解剖学の教授は私を研究室に連れていき、ドルマリン付けになった色々な臓器を取り出して、ひとつひとつ紹介しては手袋越しに一緒に感触を確かめた。
   
不思議に、気持ち悪いという感覚は全くなく、とても貴重でワクワクした経験となった。
     

何かにチャレンジすることは、常に、失敗と終わりと、それによる自分への失望の可能性を伴っている。なぁんにも残らないこともあれば、大けがをすることも、傷跡が残ることも多々あるだろう。

   
Tさんから教わった、数学の勉強方法はすっかり忘れてしまった。でも、教授と一緒に触れてみた胃腸や心臓の感触と、そっと垣間見えた生命の神秘さはまだほんのり残っている。
  
    
木漏れ日の中で、東大のベンチで缶コーヒーを握りしめながら、唇を噛んだ感覚も残っている。
  
あんな馬鹿なこともできたのだから、きっと今回の挑戦も大したことはない。失敗したって、また同じように笑い話にできるんだと、今日の私を奮い立たせる。
  

引き際を大きく超えて、大失敗した経験は人生を彩るネタになる。
引き際をわきまえて、賢く行動した実績は人生を支える糧となる。
  

そう思って、私は明日も挑戦していく。

撮影女子会に見るビジネス戦略

撮影女子会というサービスをご存じだろうか。

satsueijoshikai.com


レストランや居酒屋でダベるという元来の女子会スタイル一石を投じた提案であり、女の子達皆でプロによるメイクアップ&撮影をして記念に残そうというサービスである。

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このビジネスの発起人の中村朝紗子さんは現在若干25歳であり、私が当サービスを発見した時は、同世代の女の子がこんな素敵なビジネスを始めたとは、と心が震えたことを鮮明に覚えている。そしてなんと、昨日、Haru Haruちゃんに誘われた屋形船で偶然、中村さんに直接お会いすることが出来た。非常に聡明で美人な素敵な女性であり、彼女と直接お目に書かれたことは、今月に入って一番の幸運であった。


設立当初からこのサービスに注目していたこともあり、これを機会に僭越ながら、当サービスへの感想と提案を記したいと思う。
  
① 市場分析
一般人向けの撮影市場(写真館)等は、日本は対中国(Main Land)、台湾比、非常に小さい。私は中国出身であるが、向こうでは町中に写真館が溢れており、プロによるメイクアップ及び撮影サービスがごくごく庶民の日常に浸透している。日本では、七五三や成人式、結婚前等非常に限られた機会でしか利用しないイメージがあるが、向こうでは、誕生日や転職、カップルのアニバーサリー、学生であれば試験終了記念等、節目に撮影を行うという部分では一致していても、敷居は非常に低く、皆非常に気軽に、2回、3回と利用をしている。(写真館によっては頻繁なリピーター客を前提にサービスを設計し、ポイントカードを発行しているところも多々ある)
  
当サービスがなかなかスケールしない日本市場との違いは、以下の3点に集約される。
  
A. 文化的要因
撮影された自分のキメ写真を大きなポスターにして自宅に飾る、スマホの壁紙やSNSのトップ画像に設置することが向こうでは当たり前、日本ではそのような習慣がない。
    
B. ターゲット顧客層の違い
向こうの写真館の1番のメインターゲットは、結婚式前のカップルと、20~30代女性の1人客である。この女性一人客利用の敷居が低いことは大きなポイントである。彼女たちが、個人としてまず当サービスを体験し、満足することによってインフルエンサーとなって、友人たちや家族、恋人との2次利用を促すのである。撮影女子会をはじめとする、日本の写真館では、このような1人女性客を全くターゲットに織り込んでいない。
    
C. 価格帯
向こうでは、市場規模が大きいこともあり、業界全体の価格を押し下げている。例えば、1棟の立派な写真館だけでなく、マンションの1室3LDKで撮影部屋、メイク部屋、衣裳部屋と区切って運営している小規模の写真屋さんもあり、そういうところは地代賃料を抑えていることもあり、料金が安く敷居が低い。

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② ひと顧客視点から見た、当サービスの現時点での利用ハードル 
 先週、たまたま仲の良い友人の誕生日会があり、仲良し4人組でサプライズパーティをしたいという話になった。そこで、私は、丁度皆にこの撮影女子会を提案した。以前、私は中国でこのような写真館での撮影を体験したことがあり、プロによってメイクアップされた後に綺麗に写真に残してもらう高揚感、それによる自己肯定感の醸成を体験している。よって、それを友人に提案したのだが、時間的制約と値段設定により、残念ながら実現には至らなかった。
 その友人たちは、20代後半で実家暮らしの大企業勤めという、統計上最も可処分所得が高い独身女性層であり、その彼女たちが高いというのであれば、やはり高いのではないかというのが、私の正直の感想である。正確に言えば、値段に対する商品の魅力をまだ見込み客に伝えきれていないのではないかと、思う。
  
③ 提案
A. 女性一人客の心を掴むような利用プランを。
②でも触れたとおり、このような撮影サービスは、利用して初めて価値をわかる部分が大きい。実際に、HPの綺麗なモデルさんを見ても、自分がどこまで綺麗に撮ってもらえるのか?実際に撮影されるというのはどのようなものか?本当に楽しいのか?恥ずかしくて苦痛ではないのか?これらは、全て実際に体験してみないとわからない。First Experienceから複数女性をメインターゲットにしてしまうと、実行に至る迄に、提案者の一人の女の子のみならず、メンバー全員のコンセンサスを取らなければいけない。自分自身も購入経験がない、2万円前後の商品を友達に一緒に買うように説得することは、なかなか難しい。
  
B.「利用する人」ではなく、「お金を払う人」にフォーカスしたマーケティング戦略を。
本サービスのHPを見て、私が第1印象は「若い…」であった。笑
パステルカラーのミニドレス、花の王冠やティアラ、ケーキなどの小道具。可愛い。確かに可愛い。けど、全体的に、なんか若い。笑
27歳、アラサーの自分がこれに似合うのかというと、一瞬のためらいが頭をよぎる。HPで掲載されている女性たちは恐らく皆20代前半のように思えるが、1回2万円前後の当サービスを彼女たちが支払えるのか。もし、親や彼氏が支払う場合が多いならば、彼らに訴えるようなマーケティングを行うべきなのではないか。(例えば、下着のトリンプの通販システムでは、決済画面で「おねだりする」というボタンがあり、決済者を注文者と別にする仕掛けがある。)もしくは、利用者自身が支払いを行うという設計であれば、ターゲット層の年代をもう少し引き上げるべきなのではないか。
  
C.最終商品の用途の提案の充実
本サービスは、撮影体験にフォーカスされて、最終商品の提案が少し弱いように感じる。
最終商品である撮影した写真を実際にどう使うのか?という点は、サービスを利用するか否か決断をする際の大きなポイントになる。皆で撮った可愛い写真をデータのみ貰える、使用用途はSNSで掲載するのみ、というであれば、近年台頭してきているSNOWやSnapchatといったスマホアプリと競合することとなる。それらと差別化を図り、明確な価値を打ち出すためには、最終商品の使用例や魅力を可視化する提案力が肝となる。
 
例えば、中国の写真館では、キーホルダーや置物、ポスターなどのグッツにして渡してくれる。日本では、それらを飾る文化がない点を鑑みると、そこまでやらなくとも、例えばアルバムにして渡す、お見合い写真に使えるようにする等、何でもよいが、何か付加価値を付けて、「体験だけでなく最終商品にも確りと価値がある」といった提案をすることが必要不可欠だ。なぜならば、高価格帯の体験型商品の購入者にとっての自分への言い訳となるからだ。(例えば、エステ、高いけれども気持ちいいだけではなく実際にリフトアップして綺麗になっているから良いよね!といった心境と近い)
  
以上、ダラダラと長く書き綴ったが、私は本サービスをとても応援しており、いつかは使ってみたいと長い間考えていた。
  
女の子は、自分のことをかわいいと思えた分可愛くなれるし、周りの人から可愛がられた分だけ自分を肯定できるようになる。自分を肯定する力は、チャレンジする勇気となり、人生を切り開く鍵となる。
  
このような素敵なサービスをこれからも、ずっと応援していきたいと思います。
 

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