似ているから、嬉しい。違うから、楽しい。
「似ているから、嬉しい。違うから、楽しい。」
就活時に、どこかの企業のキャッチフレーズとして見つけた言葉である。
学生の時は、せいぜい2-3歳違いの先輩後輩で固まっていたのに対し、社会に出てからは、否応にも20,30歳違う先輩や国籍、バックグランドが全く異なる人々と一緒に私は大半の時間を過ごすようになった。戸惑いと不安に飲み込まれそうになった私を、就活を終えた後でも、この言葉が支え続けてくれた。
社会人1年目の時は、アフリカ担当となって、現地のローカルのお客さんとのやり取りで四苦八苦していた。
エチオピアでは、一日の日付変更線、いゆわる「24時」が、朝の6時であると聞いた時にはとても衝撃を受けた。更に、彼らが日常で使用しているエチオピア歴では、1年に13か月有り、西暦とは7年9か月のずれがある。つまり、本日2016年は、エチオピア歴ではまだ2009年である。なんとまぁ、ややこしい。書類のやり取りでは、いつも冷や冷やとさせられる珍事件ばかりで、よく脂汗をかいていた。
そうこうしている内に年月が経ち、桜咲く季節をいくつも超えた。
いつまでも若い気分で入るけれども、25歳を過ぎたら女の子ではなくなるし、最近ではリクルートスーツを着た大学生を見かけると、ずいぶん遠い世界のように感じるようになった。
そんな中、久しぶりに、心躍る出来事に遭遇した。
昨日の夜中に、電話をしていたとき。
5歳年下のその友人の受話器の向こう側では、いつも複数人の楽しそうな笑い声が聞こえていた。
「テレビ?ラジオ?お笑い番組かなんか流しているの?」
ふと、尋ねてみると、TVでもラジオでもなく、YouTube見ているらしい。
「そうか…この人は、毎晩、YoutubeをTV感覚で見ているのか。」
私は感心した。
そして友人は、今、私とLINE電話している正にそのスマートフォンを用いて、Youtube映像を流していることに気付いた。
そう、スマートフォンは今では若い世代の中では、当たり前のように、TV電波も電話回線も代用してしまっているのだ。
スマートフォンは社会を変えたデバイスだと主張する記事は幾度も目にしてきてけれども、昨日は初めて肌感覚でスマートフォンが起こす社会変化を実感し、身を震わせた。
「みく、一緒にこの映像を見よう。いっせーのせっで、一緒に再生しよう!」
電話口の向こうでは、そんな風に思いを巡らす私をそっちのけに、無邪気な友人の声が聞こえる。なんと、斬新で、ちょっと胸きゅんする提案なんだ。
しかし、何度いっせーのせっを試しても、アナログ世代の私は何故か上手くいかない。何度やり直してもどうしても1,2秒のずれが生じ、スピーカー越しの音声と自らのスマートフォンから流れる音声はぴったりと重ならない。少し遅れて聞こえるノイズに似た音声が、正に私と友人の間に流れる感覚の違いのように感じた。
たった5年、されど5年。
似ているようで、少し違う。
嬉しくて、楽しくて、温かい。
おすすめされたゲーム実況たるものを一緒に見てみたものの、1ミクロンとも面白さを理解できなかったことも、また大きな衝撃であった。
これが、いゆわるジェネレーションギャップなのだろうか…。
彼と私のように、私たちは皆ひとりひとり、同じ世界を生きていても、見ている世界や感じる価値が少しずつずれていて、五線譜のように、ゆるやかに平行を描きながら、互いに寄り添って生きているのだろう。
似ているように感じても、五感を研ぎ澄ませば、自分では気付かなかった、見えなかった少し角度の違う世界が目の前に広がっているのかもしれない。いつだって目の前の人が、自分の世界を立体的に広げてくれていたのだ。
スマートフォンからは、2秒遅れた効果音と、全く面白くない大げさなギャグが聞こえる。
受話器からは、友人の笑い声が聞こえる。
彼や周りの人たちが描いてくれた五線譜の上を、今日も私は愛しさに満ちた音色を立てながら、軽やかに踊っている。
「選ばれない」痛みは、いつも鋭く胸を刺す。
今日、とある社内選考の面接を受けた。
面識がない面接官2人を前に、膝を震わせながら思いを伝えた15分。
キリキリとした緊張感漂う空間の中で、限られた時間と相手の反応を伺いながら、自分という人間を語る。信念を語る。夢を語る。
終了の合図がして、お辞儀をした後に席を立つと、少しの安堵と、思いを100%伝えられなかった後悔と、結果に対する恐怖心でズーンと心が沈む。
私の話は、相手にどれくらい伝わったのだろうか。
選ばれなかったら、どうしよう。
アテが外れたら、またイチから人生構想を立て直さないと…。
就職活動の時に感じた感触を久しぶりに思い出した午後だった。
志望企業の選考に落ちることは、片想いの相手に振られて失恋する感覚ととても似ている。
想いを伝えられずに散る恋は切ないものだが、伝えて玉砕した悲しみは、また違った種類の後味の悪さを残す。
だって、私という人間を精一杯伝えて、貴方(貴社)をどれだけ好きなのかという想いを伝え、欲しいポジション(入社/恋人)もガラ空き絶賛募集中であるにも関わらず、お断りってどういうこと…!!
タイミングが悪かった、相性の問題だというけど、そんなの結局綺麗事で、
「君は要らない」
そうやって、存在を否定されることと何が違うのだろう。
選考結果が出るまでの2週間。
私は、久しぶりにこの「自分は選ばれないんじゃないか」という怖さと同居するだろう。
頭ではわかっている。
選ばれなくても、私の価値を、存在をすべて否定されるわけではないことを。
何かを失うわけではないことを。
理想としては、自分の人生の方向性をしっかり持って、「自分は選ばれる立場ではなく、選ぶ立場だ。今回がだめでも、また幾らでもチャンスはある」と心を強く持つことが出来れば、ひとつひとつの選ばれない事象に過度に怯えることはなくなるだろう。でも、私は今までの人生で積み上げてきた実績もなければ、礎となる人生方針も未だに固まっていない。ダメダメな弱い自分のままだ。
ひとつひとつの挑戦に、自分の人生を変えてくれるのではないかという、過度な現実逃避的な願望を抱いているからこそ、一喜一憂するのだろう。
大きな期待をかけて何かにチャレンジした分だけ、失敗して悲しみを追うリスクも抱えることになる。
幾つになっても、情けないほど痛みに敏感で、選ばれないことにビクビクする格好悪い自分がいる。
だから、
せめて私は懲りもせずに、
恋しいと思った相手に、受け取ってくれるかも分からない愛を差し出し続けたい。
目の前に舞い降りた心躍るチャンスに、身の程知らずに手を伸ばし続けたい。
幼い日に見た青臭い夢に向かって、人に笑われながらも走り続けたい。
強い自分に、今すぐなれないけれども、歩みを続けることは、自分の意思をもって選択し続けることができる。
弱い自分を励ましながら、一歩一歩、前に進もう。
差し出された好意ではなく、拾い上げた素顔に人は恋をする。
「笑いってね、2種類あるんだよ」
雨が降る昼盛り、オフィス下の焼き鳥屋さんで親子丼を頬張りながら、先輩(36歳、既婚、子連れ)が呟いた。
「お笑い番組を見ている時のような愉快な笑いってあるでしょ。でもね、子供を持つと、幸せな気持ちから滲み出る笑いをいうものをあるということを、発見したんだよ。たとえば、今年の春、娘が小学校に入学したのだけれどね」
一息をついて、味噌汁をすする。
「ランドセルを背負った娘の姿を見たときに、こう、じわーーーーと家内も自分も、何とも言えない笑顔になってね。娘の成長に気付いた時に湧き上がる笑い。それは、ただただ差し出された愉快な笑いとは比べられないほど、人を幸せにするものだよ」
失恋直前&失恋直後のアラサー女二人にとってはカンフル剤のような心温まる話であった。
コーヒーを買ってオフィスに戻ると、まだ胸に、じんわりと温かい幸せな気持ちが残っている。
子どもを持ったことのない私には、ランドセルを背負った娘を目にする幸せはまだ分からないかもけれども、先輩の言うことが何となく理解できるような気がした。
数年前の春。
指導教官の松本先生による学期末の最後の授業の光景が、頭に浮かんだ。すぐそこまで来ている春休みの始まりに心を奪われた学生たちの喧騒が溢れかえった教室の中で、10秒ほどだろうか。最後の方程式を書き終えた先生はチョークを置き、皆を一瞥した後に、「1年間、ありがとうございました」と深々と頭を下げた。
先生の凛とした謙虚な姿勢、仕事へのプライドを垣間見た私はひどく感動した。1年間受けた電磁気学の授業の肝心の中身は全く頭に入らなかったけれども、ピンと背中を伸ばした退職間際の松本先生の後ろ姿、深々と頭を下げた残像は、心に深く刻まれた。その後、私は迷わずに松本先生の研究室への配属希望を出した。
季節は廻り、数年後の春。
温かい昼盛りに、付き合いだしたばかりの彼と、彼が買ったばかりの一眼レフカメラを手に取ってはしゃいでいた。これを持ってどこへ行こうか?何を撮ろうか?夢と思いは膨らみ、気持ちは大きくなった。そんな矢先に、ソファーから立ち上がった彼は、大きな音を立てながら、手に持っていたカメラを派手に床に落とした。
私たちは、呆然と固まった。
彼は買ったばかりの8万円のカメラに、私はポッコリ凹んだ賃貸マンションの床に、愕然とした。
その数秒後、何を思ったか、彼はカメラを拾い、唾をつけた指で3回、カメラを擦った。
「まだ新しいのに、傷がついちゃって、可哀想に・・・」
彼のつぶやきを聞いて、この【カメラに唾をつける】という謎の行為は、転んで擦りむいた膝小僧には唾を付けて治す、という行為と同じロジック下で行われていると理解した。
なんて…動物的な人なんだろう。
私は恋心を強くした。そして、彼の理屈に従うのならば、綺麗に凹んだ私の床も舐めて治してくれるのだろうか。いや、舐められても困るのだけれども…。複雑な心境が吊り橋効果を高めたのだろうか。私は、彼の次のアクションに胸を膨らませた。
しかし、期待に反して、何も起こらなかった。そもそも、彼は床の傷にすら気づいていないらしい。そんなちょっと自己中心的なところも愛おしく感じた、春のひと時だった。
時は巡って、初夏。
トキの大群が南下する季節に合わせたのか、動物的な彼との恋もあっさりと終わりを迎え、私は残された床の傷を眺めながら、心の傷を舐め回していた。
そんな傷心した姿を見兼ねた女性の先輩が飲みに連れて行ってくれることになった。
忙しい彼女の予定に合わせて、待ち合わせを当初の予定より1時間半遅らせた後に、私は先に到着した店先でサングリアを飲みながら、彼女を待っていた。オレンジの酸味が夏の暑さにとてもマッチしている。ほろ酔い気分で窓の外を一瞥すると、黒いイブニングドレスのようなワンピースにピンヒールを身につけた美人がこちらに向けて爆走している。
「未来ちゃん、遅れた!!ごめん!大丈夫?」
結婚式帰りのような綺麗な格好をしているのに。めちゃくちゃ仕事で忙しいのに。無理して時間を作って、走って駆けつけてくれたんだ。そんな情に深い、優しい先輩の姿を見た瞬間、あぁ、なんて温かいのだろうと、熱いものがこみ上げてきた。そして、私の憂鬱は、彼女が店に入ってきたあの瞬間に、既にきれいさっぱり、吹き飛んでいったのであった。
小さい子供は、成長していく過程で、日常生活の中で、たくさんの素顔をこぼしていく。それをひとつひとつ拾い上げる喜び、それが第2の笑いの正体なのだろう。
松本先生が一生懸命指導してくれた授業も、彼との楽しいデートも、先輩の慰めの言葉も、時間と共に記憶の中に溶け込んでいき、今は霞のようにしか思い出せない。差し出された好意は、悲しいことに経年風化していく。でも、瞬間瞬間に発見した「その人らしさ」は、瞼を閉じればその裏に映し出されるように、くっきりと浮かび上がってくる。心の引き出しから取り出すたびに、いつだって、幸せ記憶と共に、蘇せることが出来る。
そのたびに、私は何度も、何度も、恋をしていくのだろう。
過去と他人と自分は変えられない。でも、未来は変えられる。
先週、9年ぶりに会う友人と飲んだ。
久しぶりすぎる再会に、待ち合わせまではドキドキしたけれども、実際に顔を合わせると二人を隔てていた時間や空間が瞬く間に消えていった。
心の奥底にしまっていた思い出がポップコーンのようにポンポンと飛び出し、くだらない話に花が咲き乱れた。
そして、10年間同じガラケーを使い続けてきたという彼が、サプライズお土産にと、画像フォルダーの奥底から、ある写真を送ってくれた。18歳の大学1年生の頃、所属していたマジックサークルの発表会の後、初恋のA君と一緒に写っている一枚だった。
余りもの懐かしさに、口に含んだマリブオレンジを噴出した。
心の奥にある引き出しがまた、ひとつ開いていく...。
18歳当時、予想以上に受験生活が長引いたAくんを横目に、私は呑気にエレベーター式に大学へ入学し、典型的な大学生活に明け暮れていた。入学後、迷わずに手品サークルへ入部したのも、ジャグリングが趣味だったAくんの気を引きたかったから。彼が発表会に来てくれたように高校時代から2年ほど仲良くしていたが、晴れてAくんが受験を終える頃には、超新星爆発程の大喧嘩を引き起こし(9割方私の有責)、音信不通になってしまった。
「Aくんは、今どうしているの?」
写真を凝視しながら、恐る恐る聞いてみた。
「それが、誰も連絡がつかないんだ。」
Aくんと同じ大学に在籍していた彼は、気まずそうにウーロン茶をすすった。
「超難関の海外大学院まで進んだことは知っているけれども、辞めてしまったらしく、その後はどの友人も連絡がつかない状態なんだ。」
人一倍努力家で、プライドが高くて、他人に弱みを見せることが苦手なAくん。高校時代に、部活でキャプテンを務めていた時も、練習をさぼりがちな後輩を直接注意することが出来ずに、「背中で見せることで、相手自身に気付かせる」という地味な戦略の元、一人黙々と更に練習に打ち込んだ。受験勉強が長引いた時も、周りの友人との連絡をすべて絶って、孤軍奮闘していたAくん。「エースをねらえ」をバイブルとして、昭和のスポ根を地でいくように、いつも自分を追い込んでは高みを目指し、決して諦めたりしなかった。
そして9年たった今、再び人生の挫折に面した彼は、大学受験の頃と同じように、またもや今まで積み重ねてきたすべてのモノ(人脈、実績等)を一旦リセットして、0からやり直そうとしている。なんと、Aくんらしい行動なんだ…。彼は全く変わっていないなと、思わず息をのんだ。
翻って、わたし自身はどうだろう?9年間で何か変わったのだろうか。
そう思って、再び、写真に目を戻した。
Aくんの前にいた、感情むき出しで、人間ブルドーザーよろしく突っ走っていたわたしはもういない。(さぞかし迷惑であっただろう)18歳の頃のように感情の赴くままに奇行/狂言を発することは少なくなったが、それは「理性」と「友人からの忠言」をミルフィーユ状に何段も積み重ねて、自身の衝動的な暴走を抑えることが昔と比べて少しばかり上手くなっただけのことだ。
当時と比べて、体重も13キロ落ちた。これも、強靭な精神力を身につけたわけではなく、ネットサーフィンという過食以外のストレスのはけ口を見つけたから。
つまり、私の本質は何も変わっていない。
周りを頼れずに、自分で抱え込んでしまうAくんを見て、どうしてそんなに、苦しい生き方をしているのだろう?もっと楽に、器用に生きたらいいのにと、当時は何度も疑問にも思っていた。でも、これが、彼の美学であり、生き方であり、本質なんだと、9年間の年月を越えて、改めて深く納得した。
今年、たくさんの時間を一緒に過ごした人から「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」と、耳タコができるほど聞かされた。
でも、本当は、自分ですらも、変えることはとても難しい。
皆、「自分くらいは変えられるはず。変えなければいない」と過信するから、苦しくなる。
頑固で、プライドが高い自分。
時には自信に満ち溢れ、時にはコンプレックスに振り回される面倒くさい自分。
傷つけられたことには敏感なのに、他人の痛みには鈍感になってしまい自己嫌悪に陥る自分。
数十年間積み重ねてきたちっぽけだけど強靭な自我を、意志の力で変えることは、不可能に近い。
でも、自分は変えられなくても、自分の扱い方を知ることは出来る。
9年間を経て、向かう方向性も夢もないわたしのままだけれども、自身の得意/不得意は少しずつ分かるようになってきた。
相変わらず、外見コンプレックスは強い。でも、自分に似合うメイクや服装を知ることで、自分が自分で良かったと思える頻度を増やすことが出来た。
ついつい他人と比べたり、羨んだり悲しくなる癖も相変わらずだ。でも、要所要所で諦めがつくようになり、その分生きやすくなった。
自分の扱いがうまくなったら、目の前の問題をひとつひとつ紐解くことができるようになる。
そして、目の前の問題が解決できれば、未来は変わる。
だから、過去と他人と自分は変えられない。でも、未来は変えられる。
Aくんも、きっと、わたしの知らないどこかで、不器用ながらも真っすぐに、一筋縄に行かない「自分」と格闘しているのだろう。そして、持ち前の愚直さを活かして、また不死鳥のように野心を燃やしながら、立ち上がっていくのだろう。
人生でたくさんの時間を共有し、近くで笑った彼は、今はどこにいるのかも知りえないほど遠い存在になってしまった。
そう考えると、どうしても、心がきゅんと痛くなる。やっぱり、いくつになっても、切ない気持ちは苦手だ。
でも、どうせ心から離れないのであれば、悲しみや寂しさではなく、愛と祈りをおくろう。いつまでも、どこにいても、幸せでいてくれますように、と。
きっとこれが、わたしが9年間かけて培ってきた、賞味期限切れの恋心に対する一番マシな取扱方法なのだろう。
シンゴジラにみる最強の恋愛戦略
巷では完全無欠コーヒーが流行っているが、私はひょんなキッカケで、完全無双デートたるものを、発見してしまった。
本戦略は、非常に強力だがやや刺激が強い為、女性諸君には、申し訳ないがそっとブラウザを閉じてほしい。そして、男性諸君は刮目して一句一文脳裏に焼き付けて、実践に生かして欲しい。
まず、完全無双デートとは、気になるあの子と4DMXの映画館でシンゴジラを鑑賞することである。君は今、「なんだ、そんなことか」と落胆しただろうか。完全無双であるための第一条件は、万人が再現可能な戦略でなければならない。よってシンプルで当たり前なのだ。
デートの成功率とは、下記3点に定義できる。
①デートのオファーを承認してくれる確率
②デート自体への満足度
③気になるあの子の自分への好感度の上昇率
ひとつひとつ説明しよう。
まず、①デートの承認率は、「気になるあの子が君に持つ好感度」、そして「提案されたプランの魅力度」の2点で決まる。「気になるあの子が君に持つ好感度」が高ければ、芋掘りでも葬式同席でもどんな提案でも100%承認される。よって今回は、好感度は限定的であると仮定する。君が現時点で未だ、気になるあの子の心の中でミジンコ程度の面積しか確保出来ていないのであれば、「提案されたプランの魅力度」1本で勝負するしかないだ。その点で、映画館という提案は、1:1で数時間ご飯を食べることと比べれば非常に気楽である上に、シンゴジラは現在タイムリーな話題作である為、承認率向上の強力なサポート材料となる。
次に、②デート自体の満足度を見てみよう。
デートの満足度は、下記2点に依存する。
1.コンテンツ力
2.女性側のコンディション
コンテンツ力は、デートの中身や2人の会話の中身だ。
東宝が始まって以来の予算を掛けた期待の大作だけあって、シンゴジラの映画の中身がまず抜群に面白い。少なくとも、社会人のアラサー女性の友人達からのウケは、100%であった。
君が島田紳助や松本人志並のトーク力を発揮して彼女を抱腹絶倒させる自信があったり、すきばやし次郎やロブションといった女性誰もが憧れる場所に彼女を連れて行きたいと思えるの程の気合と経済力があるのならば、其れでも全然構わない。だが、そこそこの労力とコストで確度の高い結果を得たいのであれば、4DMXでシンゴジラに勝るものはないだろう。
次に女性のコンディションとは、体調や気分等、君自身がコントロール出来ないものだ。こればかりは運に頼りざるをえない部分があるが、4DMXのシンゴジラだったら、どうだろうか。
先ず、4DMXの場合、映画館の座席が揺れる。ハンパなく揺れ続ける。それによって、2時間半の間、彼女は絶え間のない吊り橋効果に晒されて、否応なしにドキドキし続けてしまう。そして、ランダムに吹き付けられる風に対して、「キャッ!」と叫びながら、君に寄りかかってくるだろう。そう、いゆわる吊り橋効果とお化け屋敷効果の魔のダブルコンビだ。
そこで君は、「なんだ、そんなものが怖いのかい?」と直立不動で椅子に腰掛けながら、余裕の笑みを浮かべて彼女の手を握ってあげよう。
するとたちまち彼女は、無意識の内に映画の中でシンゴジラに立ち向かう長谷川博巳と、隣にいる君を重ねてしまうのだ。
「まぁ、ビクともしないなんて…なんて男らしくて、格好いい人なの……!」と。
そして、仕上げの③気になるあの子の自分への好感度の上昇率だが、これは、②デート自体の満足感と比例しているといっても過言ではない。つまり、彼女に楽しいデートだったという記憶を強くインプット出来れば、君への評価も自動的に連動してうなぎ登りに向上せざるをえないのだ。
その点で、シンゴジラを4DMXで鑑賞するというデートでは、君は6000円の映画チケットと700円のポップコーン代を支払いした後に2時間半彼女の横で一言も発せずに鎮座するだけで、東宝が数十億を掛けたコンテンツで彼女を楽しませ、揺れる椅子と送風口が彼女にドキドキ感を演出してくれる。その結果、彼女は君自身が、楽しくてドキドキするデート相手であり、荒れ狂う環境下で自分を守ってくれる男らしいヒーローだと錯覚する。
そして、映画を見終えた後、長時間の緊張感から解放された彼女の脳内では、オキシトシンというホルモンが放出されている。よって、君のどんな発言に対しても、好意的に捉えてくれるのだ。
そのボーナスタイムを見逃してはいけない。
「映画の前半は、正に自分の会社を見ているようで…、参ったよ。」
→まぁ、毎日ストレスに耐えながら、真面目に働いているのね、素敵。
「僕の会社がシンゴジラに壊されたシーンは、とても快感だったよ」
→まぁ、あんな綺麗なビルで働いているのね。高スペ、素敵。
「放射能を撒き散らしたり、無人飛行機を操る辺り、リアルで現代的だよな」
→まぁ、考察力が、高くて理系チックで素敵。
「ゴジラが襲ってきたら、俺が絶対に君を守るよ」
→まぁ、なんて頼もらしいの!!!!!!素敵!!!!!!
(発生確率0の事象にコミットしても、君の誠実度は1mmも毀損されない。絶対悪であるシンゴジラをスケープゴートに、ブンブン君の正義感を振りかざそう)
夏の終わりと、恋の始まりに。
Good luck !
恋心に駆られた女子高生が、大学医学部の解剖実験に乗りこみ、遺体に靴下を履かせた話。
仕事も、恋も、何事も引き際が一番難しい。
早く引きすぎれば、逃げてしまったのではないか、もっとやれることがあったのではないかと、自分を責める。
ズルズルと続けてしまった場合は、決断力、方向転換する勇気のない自分を恨む。
引き際において、100点満点の答えはない。後悔はつきものだと、最初から織り込んでおくべきだ。
いつか、油絵を描く画家に問いてみたい。
最後の一筆はどこで、どんな心境で、終わらせたのか。
もっとあの色を重ねてみよう、これを足してみようと絶え間なく筆を進めたその先に、どうやって終わりを見いだせたのだろう。
仕事だって、恋だって、続けることは意外と簡単だ。
「向いていないのではないか。愛されていないんじゃないか」という心の声に蓋をし、無難に1日をやり過ごせば良い。
お金、空虚感、孤独感。
止めることによって失われるものを数え上げて、心を脅せば良い。
我慢が足りない、もしかしたら好転するかもしれない、相手が変わるかもしれない。
一縷の望みに掛けて、自分の人生のドライバーズシートを明け渡せば良い。
時には、本当に踏ん張って続けた方が良い時もあるだろう。
続けるべきか、辞めるべきか。
その際の見極め方は、とてもシンプルだ。
「続ける自分。辞める自分。どちらが好きか?」と心に、問いてみればよい。
どちらの方が成功するとか、得なのか、正しいのか、皆からどう見られるかとか。
そんなことはどうでもよい。
どんなに出来の悪くたって、お金にならなくたって、愛されなくたって、世間から認められなくたって、それを続けている自分を誇れるのであれば、好きであると言い切れあるのであれば、辞める理由はなんてどこにもない。
逆に、どんなに正しくて、格好良くても、それを持ち続けている自分に違和感を感じるのであれば、その時点が引き際なのだ。
私の座右の銘は、「やらぬ後悔より、やる後悔」であるため、飛び込むことは得意でも、引くことはとても苦手だ。引きずるわ、後悔するわで、往生際の悪さ極まりない。あがいで、しがみついてはそんな自分に嫌悪感を抱いて、涙しながら、少しずつ手放して、それでも立ち止まっては振り返って、また涙して…を幾度も繰り返してきた。その内、少しずつ直感が研ぎ澄まされて、行き過ぎることがなくとも、「ここが引き際だよ」と心がぴったりの場所を教えてくれるようになった。
高校生2年生の夏。
私は、学校近くの書店でふと「理Ⅲへの道のり」という名の東大医学部への合格体験記を手に取って、パラパラと立ち読みした。如何にも勉強ができますといった秀才タイプから天才タイプ、様々な合格者が顔写真とともに晴れ晴れと掲載されている中に、度肝を抜かすようなイケメンがいた。Tさんである。
当時、大学3年生のTさんは、その本に自分のメールアドレスを掲載しており、「家庭教師先募集」との一文が添えてあった。私は即座に親から買い与えられたばかりの携帯電話を取り出して、彼のメールアドレスをメモした。だが、東大理Ⅲ生の家庭教師の相場は時給6000円。普通家庭のうちにそんなものを払える余裕がない上に、私は早稲田実業という大学系列の付属の高校に通っており、大学受験の意志すらなかった。
でも、背に腹は変えられない。
「東大を目指している高校2年生です。ぜひ話を聞かせてください」と、メールを作成して、彼へ送った。
人生初のメル友が出来た。
開成高校卒の茶髪イケメンのTさんは、言うまでもなくモテにモテて百戦錬磨であり、デブで垢抜けない女子高生に目をくれるはずもなかった。しかし、あまりにも無謀な私を面白がってくれたのか、意外にもメールでのやり取りは続いた。
そして、東大を目指しているといった手前、引けに引けなくなったことが、日に日に私の悩みの種となっていた。
「鉄緑会の一番上のクラスに合格したら、デートしてあげる」
そんなことを言われた日には、必死に勉強して、都内最難関の塾である鉄緑会の入塾説明会を受け、クラス分けテストを受けた。
結果、3回受けても、入塾すら認められなかった。
デブである上に、学力もない。
私は困り果てた。これでは、Tさんに会えない。
そこで、わたしは強硬手段に出た。
来る10月3週目の水曜日、高校の創立記念日に、私は東大医学部に乗り込んだ。授業に潜り込んで、Tさんを一目見てやろうという魂胆である。度胸だけが私の味方だった。
ドキドキしながら、医学棟にたどり着いたがいいものの、当たり前だが、Tさんのクラスが分からない。学生課まで行き、職員さんに時間割を調べてもらった結果、不運にも水曜日の午後は、3年生は3コマ続きで人体解剖の授業が入っており、部外者は絶対に立ち入ることが許されないと知らされた。
「ここまで来たのに…。」
医学棟そばのベンチで缶コーヒーを握りしめながら、私は、絶望した。
「これでは、一生Tさんに会えない…!」
自分を奮い立たせて、学生課に再び駆け込んだ。
「私、今東大2年生で、進振りで医学部への編入を考えているんです。解剖学に興味があるのです。お願いです、どうか、一度でいいから、見学させてください…!!」
職員さんは、引き下がらない私に困り果てた。あまりものしつこさに、教授につないでくれた。そこで、私は渾身の演技で再び頼み込んだ。
「人の臓器の仕組みに興味があります。今日はどうしても解剖学の授業を見学したく、駒場から本郷まで来ました。お願いします!見学させてください!」
教授の先生は、少し迷って考えたあとに、私に白衣とマスク、帽子を差し出した。そして、私は先生に連れられながら、人体解剖の実験室に入ったのであった。
人体実験の教室に入ると、6人ごとの机の上に遺体が横たわっていた。
東大医学部は1クラス100人前後いるため、15机に1つずつ検体が割り当てられる。計算外のことに、学生達は皆マスクと帽子を装着していたため、当たり前だが私は一人一人の顔を確認する術がなかった。
結果として、私は最後までTさんを見つけることが出来なかった。
検体された遺体は普段はホルマリン漬けにされており、実験の時のみ外気にさらされるため、四肢の皮膚は特に乾燥が進みやすい。よって実験が終わると、手には軍手、足には靴下を履かせる。さすがに私は遺体にメスを入れることはできなくとも、これくらいならばと、教授は優しく私に、見本を見せた後に、左の靴下を手渡してくれた。
ここまで来て、周りに迷惑をかけながら、私は何をやっているのだろう?
靴下の中にしわしわな足を押し入れつつ、私はマスクをした学生の中、唯一顔が露出している遺体と目を合わせながら、途方に暮れた。
勢いと度胸と勇気だけでは、必ずしも願いは叶わないと知った一日だった。
後日談だが、私はTさんを見つけられなかったが、Tさんからは実験に突然飛び入りした私のことはばっちり認識していたらしい。
「お前ほどアグレッシブなやつは見たことないよ…。」と呆れながら 。
そして、実験を見学した後、解剖学の教授は私を研究室に連れていき、ドルマリン付けになった色々な臓器を取り出して、ひとつひとつ紹介しては手袋越しに一緒に感触を確かめた。
不思議に、気持ち悪いという感覚は全くなく、とても貴重でワクワクした経験となった。
何かにチャレンジすることは、常に、失敗と終わりと、それによる自分への失望の可能性を伴っている。なぁんにも残らないこともあれば、大けがをすることも、傷跡が残ることも多々あるだろう。
Tさんから教わった、数学の勉強方法はすっかり忘れてしまった。でも、教授と一緒に触れてみた胃腸や心臓の感触と、そっと垣間見えた生命の神秘さはまだほんのり残っている。
木漏れ日の中で、東大のベンチで缶コーヒーを握りしめながら、唇を噛んだ感覚も残っている。
あんな馬鹿なこともできたのだから、きっと今回の挑戦も大したことはない。失敗したって、また同じように笑い話にできるんだと、今日の私を奮い立たせる。
引き際を大きく超えて、大失敗した経験は人生を彩るネタになる。
引き際をわきまえて、賢く行動した実績は人生を支える糧となる。
そう思って、私は明日も挑戦していく。