未来日記

未来日記

いつも鬱々としていた丸の内OLの日誌。人生をポジティブに変えていくのは、自分の行動次第。

人生の迷子になったら、6歳の自分に会いに行く。

わたしは一体何にワクワクするのか。今のままでいいのか。目指す方向性はあっているのか。

 

そんなことを考え始めると、頭がぐるぐるしてきて、ついには人生の迷子になってしまう。

 

例えば、仕事というテーマひとつを取ってみても、辛いことが続くと、

 

・好きで続けているのか、

・見栄から頑張っているのか、

・意地になっているのか、

・親や周りの期待に応えるためなのか。

 

じぶんでもどんな理由で踏ん張っているのか、訳が分からなくなって、心の声が曇る。

 

そんな時は、そっと目を閉じて、6歳のじぶんを呼び起こす。 

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6歳の頃、父親の留学に連れられて、わたしたち家族3人は首都大学東京のキャンパス内にある国際交流会館で1年間暮らした。中国の郊外から出てきた田舎娘にとって、都内にある新築ピカピカのキャンパスは言葉に尽くせない程まぶしく、「日本すげー、先進国パナイ、資本主義万歳…!」と、中国で叩き込まれた社会主義思想からコンマ5秒で脱却させられたほどの魅力を放っていた。

 

キラキラ☆した快適絶頂な先進国☆ライフは2日で終焉を告げ、来日3日目にして、「コンニチハ、キモチワルイ、トイレニイキタイ」と3語のみ父から叩き込まれた後に、わたしは「あいうえお」も分からぬまま現地小学校の入学式にぶち込まれた。阿鼻叫喚なサバイバルゲームの始まりだった。

 

そういった意味で、言語のキャッチアップを含めた勉強はとてもきつかったけれども、何もかも真っ新なチャレンジングな環境、親切で優しい先生・同級生に囲まれて、わたしはすくすく楽しく育った。

 

そんな6歳の精一杯生きていた自分。

 

人生の迷子になって、本当に本当に行き詰ったときは、昔住んでいた留学生会館まで足を運んで、当時の自分に会いに行く。それが、今日だったのだけれども。

 

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芝生の上にごろんと横になって、緑のにおいを、胸いっぱいに吸い込む。目を閉じて、耳をすます。

すると、遠い記憶とともに小さい女の子の姿が脳裏に浮かぶ。懐かしい声が聞こえる。

 

「お父さんとお母さんに仲良くなってほしい。」

うんうん。毎年クリスマスではサンタさんに、神社では神様にお願いしていたよね。あれから数年後に二人は結局離婚しちゃうんだけど、まわりまわって、20年経った今は友人として凄く仲良くしているよ…!結婚の形だけが、正解じゃなかったんだよ。

 

「クラスのみんなみたいに、キャンプに行きたい。BBQしてみたい」

うちにはそんな余裕なかったもんね。でも大丈夫。大人になったら全部出来るから。夏には海に行けるし、冬にはスキーにも行ける。たくさん、たくさん行けるよ。

 

「ディズニーランドに行きたい」

大人になったらいくらでも行けるよ!それに、お土産だって買えるようになる。この間はね、おっきな風船を買ってもらったよ。しかも、光るやつ!wいままで、ずっと買ってもらえなくて、持っている子がとてもとても、羨ましかったね。ディズニーランドを出てからも、家に着くまで、ずっとピカピカさせて自慢したよ!

 

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(光る仕様w)

 

こんな風に、6歳のじぶんと、ひとつひとつ、今まで叶えた夢、まだ叶えてない夢の答え合わせをする。

 

すると、あ、まだコレ、叶えられていない!出来るのにやっていない!と気付く瞬間に出逢う。

 

それが、これからの宿題になり、目標となる。

 

いつだって、わたしは外界の声ではなく、幼かったじぶんの夢を叶えることを目的に生きていきたい。

そして、今現在、どうしても叶えることが出来ない夢は、

38歳のじぶん、48歳のじぶんと未来のわたしを信じて、託していきたい。

 

いつでも、どんなときでも、ヒーローは未来のじぶんだって、

そう胸を張って言えることが、究極的な自信、自分を信じることだと思う。

 

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100%の納得感をもってしか選択できない自分の弱さ

今日、友人と銀座で3万円弱のジーンズを買った。

 

今までの人生の中で2980円 or 3980円のUNIQLOのジーンズしか買ったことないわたしからすると、とんでもない高級品であった。

 

では、清水の舞台から飛び降りる程の決断であったかというと、意外とそうでもなく、試着した途端に足が「+30%長く&-30%細く見える」という奇跡を発見した瞬間、わたしは悩むまでもなく購入を決意した。

 

身銭を切る買い物ひとつとっても、このような100%納得感のある選択肢に出逢えることはとても珍しい。

 

大抵は、「形はいいけど、色がちょっとチャレンジグだなー…。」とか、

「デザインはパーフェクトだけど、持ち服と合うかどうか…」とか、

「まぁまぁ可愛いけど、このお金を出して買うほどの価値なのか…」など、

 

何かしら理由を見つけては、躊躇してしまう。

 

親に反対されてもこの人と結婚したいとか、

安給で先行不透明でもこの仕事に挑戦したみたいとか。

 

100%の納得感を感じた場合は、コスパを考えるまでもなく、世間体を気にする間でもなく、自分でも拍子抜けするくらい、大胆に軽々と飛び込めるのだろう。

 

とても稀だけれども、わたしたちはそのくらいの満足感、納得感を人生どこかで経験して知っているからこそ、ついつい待ってしまうのだ。もっと良いもの、もっと良い人、もっと良いタイミングはないのかな…と。

 

だけど、それ程確信を持った選択肢に出逢えることは、人生そうそうなくて、

大半は、不安で、不明瞭で、目をつむれないほどの欠陥がある一方、目を逸らせない程の魅力的をもった選択肢が行く先々に散りばめられている。

 

その不安を取り除こうと、欠陥を何とか埋めようともがいても時間が過ぎていくばかりだ。それじゃあ、服一枚も買えなくなってしまう。

 

だから、70%の納得感でも、まずはえいやと飛び込める自分でありたい。

選んだ後に120%の納得感を持っていく努力をし、それでもダメだったら潔く手放して、また選び直そう。

 

そのくらいの柔軟性とたくましさを持ち合わせていれば、もっともっと、たくさんのワクワクを掴める自分になれるはずだ。

 

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12kg痩せたダイエット記

女友達に体型維持に関して質問されたので、10年間に渡る、自分のダイエット史を振り返ってみた。

     

私は元々太りやすい体質で、12歳のころから22歳まで毎日体重に関して思い悩み、朝夕欠かさず2回必ず体重計に乗っては100g単位で一喜一憂する日々を送っていた。

     

特に顔とお腹に肉が付きやすい体質のため、0.5kgでも太ると、目立ってしまうからタチが悪い。意志力が抜群に弱い上に、欲望に忠実な私はどんなダイエット方法でも続かず、日々自己嫌悪感を高める一方だった。

 

意志が弱い人間にとって、ダイエットに関わらず、何かを成し遂げる時に最も大切な要素が「気持ちの良い環境」だ。どんなに効果的で革新的なメゾットでも、気持ちが良くないと続かない。更に、不快感が蓄積されると、ストレスの反動で一時的に結果が出たとしても、トータルで見るとマイナスの結果に振れて終わるのが関の山だ。ダイエットでいうと、一瞬痩せても、結局リバウンドしてしまうのは、そのためである。

      

痩せたいのについつい適量以上に食べてしまう。衝動的にヤケ食いしてしまう。

      

これを紐解くと、「食べる」という刺激をドーピングしないとやっていけない程、不快な環境に身を置いているということである。原理はタバコや麻薬と同じであり、その刺激を打ち絶つためには、意志の力では到底沙汰打ちできない。少なくとも、私はできなかった。刺激に対する依存を断つためには、「刺激に頼らなくても、快適に過ごせる環境」が必要不可欠なのだ。

     

よって、物理的にも精神的にも、「気持ちの良い環境づくり」がまず最優先になる。
         

 


更に、持論として、人は○を◎にすることはできても、×を○にする程強くない。不可能ではないけれども、×を○にすることは、○を◎にすることと比べものにならない程、大きなエネルギーを要するからだ。

        

「こんなダメな自分を変えないといけない…」「なんとかしなきゃ」と焦れば焦るほど、結果が出ないのは、自分に大きな×を付けているから。×を○に変えていくことは、自己否定に絶えずさらされていることと同義であるため、精神的にとても不快な環境を作り出してしまう。

     

よって、快適な環境作りとは、自分にたくさんの○を与えることからスタートする。一見矛盾しているように思えるが、私の場合、「自分はこのままでよい」と思えたときに、初めて大きく変化する準備が整うのだ。

 

        

こうして、痩せたら着ようと思って買い込んでいた服を、思い切って全部処分するところから私のダイエットは始まった。自分が痩せることを期待して買った、ワンサイズ小さいジーパンも、履き心地が悪く、快適ではないということで思い切って、捨てた。

          

次に、「痩せたらチャレンジしよう」と先延ばしにしていたことを、すべて書き出しては、前倒しして試してみた。

       

メイクを研究すること。パーマをかけること。
      
デブがオシャレをしたら痛いのではないか、効果が薄くお金の無駄遣いなのではないかと、避けていたことにチャレンジすると、思いの他周りの友人から気付いてもらったり、褒められたりして、純粋に嬉しかった。

      

デパートへ服を買いに行くと、鏡に映る理想体型でない自分を突き付けられるようで心情的につらく、NISSENなど通販ばかりで買い物をしていたが、思い切ってオシャレな友人を誘い、「今の私」に似合う服を見繕ってもらった。
          


こうして、「理想からは遠い今の自分でもいいじゃないか」と思えるような、自分自身に対する○をひとつずつ貯金し、生きやすい環境づくりを整えていった。

 

        

そして、最後に。
         
最も難しく、そして効果が大きかったのは、自分の体形をからかう人から自分を遠ざけたことである。当時、とても好きだった男性から、みくはもっと痩せたら?とか、太ももが象みたいに太いなといつもからかわれていた。極め付けは、髪形をボブに変え、おろしたてのマキシムワンピースを着て彼とのデートに出掛けたところ、「デカいちびまる子ちゃんみたいだな!でも、顔はパンパンしているから、パンパンマンか。(笑)」とからかわれたことであり、その場では、「もう、意地悪なんだから」と笑ってやり過ごしたが、数日間寝込むほど精神的に応えた。それから、あのワンピースは押し入れの奥にしまったまま、一度も着ていない。


         
当初、彼と一緒にいれば成長できるのではないか、彼の理想に近づけられるように頑張れるのではないかと思っていたけれども、やはり現状の自分自身に対して×だと言っている人の期待に応えなきゃと頑張ること、一緒に居ることは常に自己否定を伴うため、痛みを伴う。そのストレスから逃げるために、更に過食に走っては自己嫌悪に陥るという、悪のスパイラルを繰り返していた。

 

         

そして、彼と距離を置いて少し経った頃に、新しい恋人と付き合い始めた。
   
当時、夏バテも手伝って3kg程度ダイエットに成功した私は、ある時一番太っていた頃の写真を彼に見せた。クスっと笑われる覚悟で、「今は痩せて綺麗になったんだね」と褒められたい一心で差し出した写真を、彼はまじまじと見た。そして、固まった。


        
「もしかして、ドン引きされたのかな…」
         


彼の様子を見て、私は大きなショックを受けた。

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その次の瞬間、


      
「未来ちゃん、俺はもっと早く未来ちゃんに出逢いたかった。このぷくぷくしていた時期も超かわいいじゃん。もちろん痩せて綺麗になった今の未来ちゃんも大好きだけど、このぷっくりした時も、これはこれですごくかわいい。俺はこの時期は見逃がしてしまったんだね。本当に残念だ…」

       

そう言って、彼は肩を落とした。あまりもの予想斜め上の反応に、今度は私が固まった。ジョークを言っているのかと思い、顔を覗き込んだところ、彼の眼は大真面目で真剣であった。あんなに最上級に太った自分を、良いねと言ってくれたのは、家族友人含め、今まで誰もいなかった。この日、私は彼から、もがき苦しんでいた過去の自分にとびっきり大きな○をプレゼントしてもらったのである。そして、彼からもらった大きな○は、6年経った今でも、そしてお互いが離れてしまって今でも、ずっと心の中でわたしを支えてくれているのだ。

        

他人の評価によって自分の価値を決めちゃいけないとか、自分は自分で認めてあげなきゃとよく聞くけど、あんなの全部綺麗ごとだ。特に、女性はなんだかんだ、可愛いねと言われた分だけ可愛くなるし、良いねと褒められた分だけ頑張る糧にできる。○を◎に変えていく燃料になっていく。

      

だから、もっともっと自分をほめてあげよう。そして、今の自分でも良いね、と思ってくれている人と一緒に居よう。意志力への過信、弱い自分への自己嫌悪、自分をダメだしする男等はまとめてごみ箱に捨ててしまえ。

    

まずは、うんと自分を甘やかして、たくさんの○を出してあげよう。

        

こうして、私のダイエットは生きやすい、心地よい環境づくりからスタートしたのであった。

 

 

 

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コーヒー豆が教えてくれた人生で最も大切なこと

「若い人は、社会の希望なのよ」と母が言った。

「おっぱいには、希望と夢が詰まっているんだよ」と兄が言った。

「コーヒー豆には、希望と夢と人類の叡智が詰まっているんだ」と課長が言った。

 

  • 若さ=希望
  • おっぱい=希望+夢
  • コーヒー豆=希望+夢+人類の英知

∴ 若さ < おっぱい < コーヒー豆

 

3年前のある午後盛り、部内会議で課長が事業計画を発表する中、わたしは配布資料のはじっこに、兄、母、そして課長の言葉から導き出された黄金の数式を書き記した。

 

日に日に若さを失い、且つ貧乳なわたしはこれからコーヒー豆にすがることでしか、希望と夢を見出すことが出来ないのか。嗚呼、なんと世知辛い世の中なのだろうと、当時のわたしは絶望した。

 

しかし、更に絶望したのは会議後、黄金の数式が記された配布資料がそのまま回収されてしまったと気付いた時である。後日部長に宴会の席で、死ぬほどイジられたのは言うまでもない。

 

新卒で就職したあと、わたしは東南アジア、南米、アフリカと世界各国でコーヒー豆を輸入し、日本国内の焙煎業者に販売するというビジネスに携わった。コーヒー豆は別名Coffee Green Beansと呼ばれるように、元来緑色をした豆であり、新鮮さを失うにつれ黄ばんでいき、味が薄くなる特徴がある。よって、豆が古くなって価値が落ちる前に売りきることが非常に重要であった。

 

そして、不幸にも売れ残ってしまった古いコーヒー豆を販売することが、新人のわたしに与えられた仕事であった。黄色の古い豆は一目で判別がつくため、お客さんに出すとあからさまに顔をしかめられる。それでもなんとか買って頂こうと値引きをすると、今度は上司に顔をしかめられる。売れば売るほど、誰かに嫌な顔をされる、こんな世知辛い仕事もなかなかないと、わたしは長い間仕事に夢も希望の人生の叡智も見いだせなかった。

 

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そんなある日、あるインドの取引先から自国産コーヒー豆を買ってほしいと頼まれた。サンプルの豆を見ると、今まで見たことない程黄ばんでおり、味もびっくりするほど薄い。お客さんに売るどころか、提案することすらはばかれるクオリティだ。

 

しかし、そこはさすが世界の商人、インド人である。

サンプル豆と共に1枚の宣伝用のチラシを渡され、そこにはこんな説明書きが添えてあった。

 

「幻の黄金のコーヒー。マハラジャが愛したスッキリ爽やかな味。」

 

 なんという開き直りだろうか。

近年髪の毛が後退している父が、イタリア人は髪が薄いことがセクシーの条件なのだと豪語していたのと同レベルの図々しい発想に、わたしは禿げしく、いや、激しく動揺した。

 

確かに、ここまで黄ばんだまま放置された豆は逆に珍しく、幻の黄金のコーヒーだというのはうなずける。

また、コーヒー元来の味がほとんど抜けてしまっているので、スッキリ爽やかな味だというのも、ある意味その通りだ。

 

ひょっとしたら、これはいけるかもしれない。

 

そう思い、大反対する課長を説得して、このインドコーヒーを客先に持って行ったところ、最初は皆ぎょっとした顔を見せながらも、意外にも面白がってくれ、結果当初想定していた倍の量を売り切ることが出来たのである。

 

「ねぇ、お兄ちゃん!!いつもは価値がないとされているものでも、光の当て方を変えると評価って全然変わってくるんだね!」

 

コーヒーの売り契約が成立した日の夜、わたしは興奮冷めやらぬまま兄に事のいきさつを報告した。

 

冷静なまなざしでわたしを一瞥したあと、兄はこう言った。

 

「モノの価値は、供給と需要、そして見せ方によって決まるんだよ」。

 

兄の言葉を聞いて、わたしは20年前のとある出来事を思い出した。

 

小学生の頃、父と母の目を盗み、TSUTAYAのレンタルビデオの一番奥のカーテンがかかっているコーナーに兄と2人でこっそり足を忍ばせたことがある。そのビデオのパッケージには、若く綺麗な女性が身体を露わにし、妖艶な衣装で様々なポーズを取っていた。そして、わたしが最も驚いたことは、その中で最も場所がいい、目立つ棚に陳列されていたのは、一番綺麗な女性の商品でも、一番セクシーなポーズを取っている女性の商品でもなかったことであった。

 

一番異彩を放ち、目を引いたもの、それは明らかに他の女性より20,30歳は年が上であろう着物姿で佇む女性が写っていたビデオだったのだ。しかも1つや2つではなく、一列分くらいの量はあり、パッケージには「熟女」という二文字が共通して印字されていた。

 

「ねぇ、お兄ちゃん!なんで、お母さんくらいの年代のビデオが人気なの?」

 

興奮冷めやらぬまま、わたしは兄に尋ねた。

 

冷静なまなざしでわたしを一瞥したあと、兄はこう言った。

 

「モノの価値は、供給と需要、そして見せ方によって決まるんだよ」

 

嗚呼、20年前に兄が悟っていたことを、わたしはつい最近まで気付くことが出来なかったのか…。わたしは絶望し、猛省した。

 

そして翌朝、古いコーヒー豆を活用した、熟女コーヒーならぬ、熟成コーヒーを売り出すことを思いついた。

早速2,3年在庫していた古いコーヒー豆の値下げを辞め、ヴィンテージ品としてブランド化し、客先に提案した。

 

様々な紆余曲折があり、結論から言えば、その提案は直ぐに採用されることはなかった。

しかし、営業先のメーカー担当者はわたしの提案を覚えてくれており、数年経った後に、この企画は実現されることになった。今、スーパーの棚には当時のわたしが提案した商品が並んでいる。

 

中国にはこんな格言がある。

 

「ゴミとは、置き場所を間違えた資源である」

 

嗜好品であるコーヒー豆の販売に携わった2年半は、与えられた商品をどこに、そしてどうやって置けば一番資産として高い値が付くのか?という問いを、常に考え続けた時間だった。

 

昨日の夜、わたしは「振り返ると辛いこともたくさんあったけど、楽しかったなぁ・・・」と久しぶりに当時の日々を思い出して、しんみりとしながら帰路に着いた。

 

郵便ポストを開けると、大学時代の親友からの結婚式の招待状が届いていた。

 

今まで、数えきれない程たくさんのコーヒー豆を売ってきたにも関わらず、たったひとつの自分という商品を未だに売却できていない事実に気づき、わたしは絶望した。

 

「ねぇ、お兄ちゃん。どうやったら結婚できるかな?絶世の美女ではないけど、オシャレもしているし、もっと評価されてもいいと思うのに・・・><」

 

冷静なまなざしでわたしを一瞥したあと、兄はこう言った。

 

「女の子の価値は供給と需要によって決まるんだよ。見せ方は関係ない。」

 

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【全メンヘラ女子に捧ぐ】史上最強の自己啓発は、引き寄せの法則でも、7つの習慣でもなく……財務諸表である。

尊敬する先輩の異動が決まった。

人事異動が日常茶飯事な我が会社で、数えきれないほどのさよならを経験した。

 

でも、こんなに悲しい気持ちになったのは初めてだった。

 

涙をこらえて部内会議をやり過ごしても、業後まではこらえきれず、セブンイレブンでマスクを購入し、帰りの電車内でワンワンと泣いた。

 

入社以来、一番親身に指導して、応援して、励ましてくれた先輩だった。

 

そういえば半年前位に、「黄さんの一番の長所は、その図太さだな」と言われたことがある。

 

泣き明かした赤い目を擦り、顔を上げると、真っ裸な枝の先々にうずめく桜の芽を見つけた。働き始めてから6回目の春の訪れに気付く。どんなスキルよりも、知識よりも、その図太さこそが、5年間掛けてわたしが手に入れた一番の財産だということを思い出した。そして、それまでは毎日こんな風に泣きじゃくっていた、という昔の記憶も。

 

社会人になる前のわたしは、絹豆腐状に心がもろく、毎日些細なことで傷つき、落ち込み、心を乱していた。

 

親からの叱責、友人への嫉妬、自分の不出来による苦悩、漠然とした将来への不安。心をかき乱す材料をひとつひとつ丁寧に拾っては、会社のデスクで、女子トイレで、帰路で、家の布団でと、場所を選ばずに毎日泣きじゃなくっていた。

 

つい近年まで、わたしは、本当にどうしようもない程にこじれたメンヘラ of メンヘラだったのである。

 

そんなわたしが徐々に心を強くしてくれたのは、ズバリ…、

 

財務諸表である。

 

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特に、財務三表は人生のホロスコープであり、羅針盤である。

 

20数年間、メンヘラ街道まっしぐらなわたしを救い出したのは、神でも仏でも幸福の科学でもなく、P/L、B/S、Cash Flowであった。

 

財務諸表を読み解ければ、日常の悩みの8割は紐解ける。

 

幼少時代、家族で中国から日本に移住したばかりということもあり、家族3人世帯収入200万円で10年間ほど暮らしていた。その名残のせいか、大人になって経済状況が改善されたはずなのに、どんなに働いても、貯金をしても、「これで本当に大丈夫なのか…」と漠然的な不安は消えることはなかった。

 

そんなある日、フリーキャッシュフローと運転資金の概念が、わたしを開眼させた。

 

企業にとって、売り上げの大きさや余剰金の有無に関わらず、フリーキャッシュフローが黒字である限り、取りあえずの存続は確保できるように、稼ぐ金額の多さや貯金額の有無に関わらず、毎月の支払いが滞っていなければ個人の生存が脅かされることはないのだと知った。そこで、わたしは早速自分個人の運転資金に当たる毎月かかる費用を計算した。光熱費、家賃、食費…と、自分が快適とする生活を維持するために必要な絶対額を確りとした数字で認識すると、今まで何年もわたしを悩ませていた漠然とした不安も、貯金への強迫観念も自然と消えていった。

 

今では、上司に「君のバリューはなんだね」と嫌味を言われても、「若さというのれんが大半ですが何か…!」と心で毒づき、どんなお偉いさんを前にしても、「減価償却分を差し引いた残存価値で比べると、わたしも負けていないはず!」と図々しく構える術を覚えた。

 

また、意中の異性に振られても、「こんなこともあろうと、積み立てた引当を取り崩すだけだもん、経営の根本は揺るがない…!(震)」と、心のB/Sをまさぐるようになり、わたしの図太さはどんどん助長され、涙は枯れた。

 

そして何よりも、今までわたしはどんな自己啓発本を読んでも、アナ雪ブームに乗ってLet it goを熱唱しても、「自分は自分のままでいいんだよ」とは心の底からは思えず、他人と比べては卑屈になって落ち込むといった、不毛なループを繰り返していた。

 

しかし、投資家が企業価値を判断する際に、営業利益やEBITDAの絶対額ではなく、ROAといった効率指標やIRRといった収益性指標の方が重視されると知った時、またまた開眼させられた。

 

例え、自分のB/Sが小さくても、保有資産の中身が思い描いていたポートフォリオとは異なっていても、そこから戦略を立てて、自分らしい最高の価値を生み出していけばよいのだと他人と比べなくてもいいのだと、心の底から納得することが出来たのだ。

 

自然万物に神は宿るというように、ひょんなところに幸せのヒントが落ちているものだから、神様も侮れない。

 

さて、涙をふいて、今夜も聖典(簿記2級の教科書)を開くとしよう。

 

 

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【お隣の社会は、未来を覗く窓】

小さい頃、「未来のことは神様しか知らないんだよ。」とお爺ちゃんに教えられた。

だから、何が起こってもいいように、しっかりと勉強して立派な大人になりなさいと。

 

でも、大人になってから、個々人に降りかかるミクロ的な未来は分からなくとも、社会の様子、特に違う地域、違う国の様子を知ることで、自分の生きる社会の未来はある程度予測できることのではないかと、感じることが増えた。

 

例えば、今、日本でブームとなっている民泊。

今日本では、まだホテル業界やマンションの管理組合等からの反対しかないため、異論を唱える声は弱く、一般的な関心もまだまだ低い。

 

対して、数年間先行して、民泊が浸透しているパリ、ニューヨーク、バルセロナといった世界的な観光都市を見渡すと、軒並みAirbnb社の台頭による不動産の価格高騰が断トツの問題となり、一般市民からの反対が同社の何よりもの大きな課題となっている。

 

そこで、Airbnb社は"One Host One Home"といったキャンペーンを打ち、複数物件を運営しているアカウントを強制的に締め出したり、稼働日数を自動カウントし、法定宿泊日数を超えた物件を強制凍結させている。

 

新たに民泊をスタートさせている知人が増えてきたが、一番心配すべきリスクは現行の規制や稼働率ではなく、もうすぐ、しかし確実に訪れるであろう業界情勢であろう。

 

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最近、働き方改革であったり、副業/複業を企業に認めるような世論が強まってきた。それらが実現した未来はどうなるのか。

 

下記現代のアメリカの中間層を紹介する番組で、垣間見た気がした。

日本では、「複業で仕事を2つ掛け持ちしている!」と聞けば、その存在はまだ珍しいため、格好いい、やり手だといったイメージが先行する。しかし、このビデオによると、複業/能力主義が当たり前に浸透しているアメリカでは、2つ、3つ仕事を掛け持ちすることは本職で十分な稼ぎを得られないことに他ならない。

 

巷では社員の副業を応援するサイボウズの取り組みが先進的で素晴らしいと讃えられるに対し、アメリカでは副業を行う従業員比率が高い企業は「従業員を十分に食わせられていない会社である」と世間的に見なされ、イメージダウンに繋がる。このビデオでは、公務員である消防士ですらも本職で一家4人家族を支える程の収入にならないため、3つ仕事を掛け持ちしている男性が紹介されている。

 

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誤解を恐れえずに言えば、長時間労働を容認し、専業しか認めないということは「うちの会社に忠誠心を持って働いてくれたら、あなた(及び配偶者、子供)の生活は保証しますよ」といった、ある種企業側の漢気のようなものだと、私は考えている。従ってその文化を完全撤廃し、合理的な働き方を促して従業員に他の収入軸を持つことを赦すことは即ち、会社が従業員及びその家族を養うという義務を手放すことにも繋がるのだ。

 

もちろん、ダラダラした意味のない長時間労働や会社が従業員を縛ることを肯定しているわけではない。

 

しかし、職の流動性が高まり、合理化を高めた先には、ホワイトカラー優勢の社会がさらに強化なものとなり、仕事の仕組みを設計する人(経営者や資本家等)と、仕組みに従う人(従業員、雇われる立場の人)の貧富差が信じられない程広がった未来が待っている。

 

「この事業のどの部分でチャリンできるのか?」

 

上司によく問われる言葉である。

昔は、業界やライバル企業の変異を追っていけば、未来を予測し、チャリンできる(=マネタイズする)ポイントの変化を負うことができた。しかし、目まぐるしく変化していく社会では、未来を予測するだけではなく、実際に未来を覗いた上で、組織の、そして自身の身の振り方を細かく設計していくべきなのかもしれない。

 

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あなたの、光になる。

素敵な先輩が異動してきた。

如何にも商社マン街道まっしぐらに歩んできました、と言わんばかりの会社人生40年戦士の先輩は、歓迎会で腹を抱えるほどのユーモアを混ぜこんだスピーチを披露してくれ、わたしをおおいに笑わせ、感動させた。

 

そして、歳にして30以上違う中、とても柔らかい物腰で、言葉の端々から知性とリスペクトを感じとれた。 

 

歓迎会終了後、寒々とした神田の街並みをひとりで歩きながら、明日から先輩と一緒に机を並べるのが本当に楽しみだ、と胸が熱くなった。

 

帰りの満員電車の銀座線に一歩足を踏み入れたとき、切りつけるような寒風にさらされたときも、いつもより憂鬱さが5%くらい減っているような、そんな気がした。

 

昨日より今日、先輩から何か吸収できるかもしれないと考えたら、なんだか明日の朝はいつもより5分早く起きられる気がした。

 

そう考えると、

誰かの日常で一輪の花を添えてあげるような、

少しばかりの幸せとユーモアを届けられるような存在になることは、

「明日を生きるのが楽しみだ」とその人が思えるキッカケを与えることであり、

その人の人生に光を灯すことと同義なんだ。

 

たとえそれがちっぽけな影響力しか持たない、ろうそく並みの光であったとしても、

確実にその人の人生に照らす希望となっている。

 

ユーモアは正義であって、リスペクトは金なんだ。

 

はじまったばかりの28歳。

 

これから、いくつの光を集められるのだろう。

いくつの光を届けられるのだろう。

 

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