利害がない人間関係は薄っぺらい。利害の発生こそが、人生の醍醐味。
かつては、利害関係がない関係こそが最上だと教えられてきた。
互いに損得のない、奪い合うことも分け合うことも要されない、シンプルで単純な関係性。
それが多くの人が思い描く美しい友情のあり姿ではないだろうか。
その定義に違和感が出てきたのは、社会人になってからだ。
居酒屋で友人と愚痴を並べながら談笑する時間より、時には対立したり、恨んだり恨まれたりしながらも、
同じ目標を掲げて走っていく上司や先輩と過ごす時間の方が、人生の肥やしになるのだと気付いた。
そして、裏切りと呼ばれるものの大半は悪意ではなく、人の弱さから生まれること。
人は弱いからこそ、倫理観や意志の強さに頼らずに、仕組化することが大事であること。
利害が発生する人間関係の中で、傷付き傷付けられていく過程で学んでいくそれらの知恵こそが、ただただ快楽だけを帯びた薄っぺらい友情より、よっぽど人生の醍醐味があるのだと感じた。
友情を超えていく関係性。
仕事仲間、恋愛、重点取引先。
それらの関係に共通する性質として、リソースの奪い合い、つまり利害関係が必ず発生することが挙げられる。その対象は主に、時間と金銭と労力、そしてコミットメントだろう。
例えば、恋愛でただただ仲良くする関係から、真剣な交際へ発展していく過程では、互いに「異性としては貴方としか関係を結びません」という一種のExclusive契約を結ぶこととなる。
ビジネスの世界で置き換えると、ただのアルバイトから、正規の雇用関係を結ぶことによって、他社で働く機会を手放すこととなる。取引先で言えば、単なる一取引先から重点取引先に移行したり、独占販売権を結ぶことによって他社との協業可能性を手放すことを意味する。
友情を脱して、その上の関係にステップアップするためには、相手のリソースや可能性を確実に奪っていくことになるため、オファーされた側から、
「この人に対して、自分はリスクを取って、人生のリソースを投資するほどの価値があるのか?」
といったシビアな目線での評価されることになる。
今まで損得勘定がなかった友情関係から脱する切り替え点として、避けて通れないポイントとして、オファーされた側から不信・不安を浴びるように受けるという洗礼がある。
感情は波動である。
よって、愛情を示せば、それが穏やかに相手に伝わるように、不安や不信といった負の感情も、波動として痛いほどに伝わってきてしまう。
今まで、真っ新なポジティブな感情しか共有しなかった関係性に、ネガティブな波が混じることは、相手がいくら隠そうとも、凄く敏感に自分まで届いてしまう。
それは、正直言って、とても辛いことだ。
一緒の仲間として、同じサイドとして頑張っていこうと、いくら愛情と信頼を渡しても、不信と不安しか返ってこない。そして、そんな期間がいつまで続くかはわからない。もしかすると、吟味されている間に、「やっぱり違った」と相手は離れていってしまうかもしれない。時にはそんな不安に、心が折れそうになる。
それでも。
自分が見込んだ相手に、みずからオファーをする以上、惚れた弱みとして、
「わたしが、必ず、あなたを幸せにする」という覚悟が必要不可欠なのだと思う。
そして、相手が覚悟をもって承認してくれた暁には、わたしは、必ずあなたを幸せにする。
あなたの夢を、価値観を大事にするし、決して悪いようにはしない。
だから、信じてついてきて欲しい。
でも言葉で示しても、不信感が消えないことは知っているから、
この覚悟を、愛情を、信頼を、時間をかけて徐々に渡していくしか出来ない。
言葉以上に、実績で、行動で、愛情と信頼を先行投資すること。
不安と不信を全力で受け止めること。
それがわたしが考えるリーダーシップである。
アフリカ系男子が、好きすぎる。
ランチ後の眠気が増していく昼盛り。
社内チャット越しに、女友達と「ねぇ、どんな人が好み?」と、
1000回はゆうに繰り返されたであろう、この永久的に生産性がない話題について、
わたし達は花を咲かせていた。
えぇっとね、仏みたいに優しい人でしょ、大人で器が大きい人、一緒に居て楽しい人…
我が身を棚に置いて、楽しい会話は続く。
その中でハタと、気付いたことがある。
近頃の、わたしの好みの異性のタイプ。
それは、まとめるとズバリ、アフリカ系男子なのではなかろうか。
(先日、年始年末にホームステイしたベナンで、誕生日プレゼントとしてもらったワンピース)
ここでいうアフリカ男子の定義とは、アフリカ大陸にてフリーで活動をしている日本人起業家、或いは個人事業主を指す。
最近、わたしは仕事の関係で一気にこの種のアフリカ男子と知り合うことが増えたのだが、皆揃いに揃って非常に素敵であるため、今日は普段お世話になっているアフリカ系男子達に感謝の気持ちを込めて、彼らの魅力について、とことん語りたいと思う。
1.風流でユーモラスなアフリカ系男子
わたしがアフリカ系男子の魅力に目覚めたのは2016年7月と、意外にも歴史が長い。
キッカケは、当時付き合っていた恋人がアフリカが大好きだったからであった。
「みくちゃん、幸せはね、心の中にあるんだよ」
大学時代に1年半ほどアフリカで過ごした彼は、そんな風流な口癖と共に、現地で見聞きした様々な思い出を語っては、いつもわたしを楽しませてくれた。当時、アフリカの場所がどこにあるかも分からなかったわたしにとって、彼の口から繰り広げられた異国の話は、異世界のごとくとても新鮮で、いつも刺激に溢れていた。
しかし、お付き合いを始めてから数か月後、わたしは彼から急に別れを告げられたのである。
「なんで…?」
涙ぐみながら見上げた彼は、こうわたしに告げた。
「みくちゃん…、ごめんね。ぼくは、近々アフリカに戻るんだ。戻らなければいけない。だから、ごめん」
わたしの記憶では、彼の生まれ故郷は長野県諏訪市であったため、アフリカに「戻る」という表現にはいささか首をかしげたが、大志を抱いた男を止めることは出来ない。涙を呑みながら、わたしは別れを受け入れた。
あれから2年弱。
Facebookを開いて、
かつて愛した彼のページを眺めると、
「近くにいる友達」機能で表示される彼の位置情報ピンは、
アフリカにも、長野にも刺さっておらず、2年間の間、常に千代田区を表示していた。
これは…、一体全体、どのようなロジックで成り立っているのだろうか。
わたしは極めてポジティブな人間であるため、
幸せは心の中にあるように、アフリカも本当は千代田区の中にあるのではないかと、
風流な彼はそんな哲学的な問いかけをわたしに残してくれたのではないかと、
そんな風に考えては自分を納得させた。
2.コミュニケーション能力が高く、話していて楽しい。
現在、仕事関係で、アフリカに単身で渡っている日本人男性とコンタクトを取る機会が多々ある。
出逢いはブログやTwitterといったSNS経由であったり、友人経由であったりと様々だが、
皆に共通することといえば、非常に親切でフレンドリー、話していて飽きないことだ。
先方がアフリカ現地にいる場合、SkypeやMessanger等でのやりとりとなることがほとんどだが、実際にお会いしたことがなくとも、話が弾む弾む。
どこの馬の骨かもわからないわたしに対して、どんな質問を投げかけても、皆嬉しそうに話を続けてくれるのは、
恐らく日本語を話せる知人が周りに少ないため、久しぶりの日本語でのコミュニケーションが新鮮であることと、
元々アフリカに単身で乗り込むほどのコミュニケーション能力が高い方々であるからという理由しか考えられないが、
わたしは極めてポジティブな人間であるため、
「たのしそうに話してくてくれる。話も合う。彼はわたしのことが好きに違いない」
と、童貞顔負けのびっくり仰天な勘違いをしそうになる。
3.ワイルドで格好いい
アフリカを実際に歩いてみると、街並み、人々の風貌とすべてが新鮮で、
日本から来た自分としては、RPGのゲームの世界を渡り歩いている気持ちになる。
そして、その横にアフリカ系男子がいれば、気分はモンハンの主人公そのもの。
さぁ、大サバンナへ一緒に狩りに出かけようか。
(ベナンにある水上都市、ガンビエ)
そこで、アフリカ系男子が、摩訶不思議な現地語を流暢に話しながら、ジュース1本を買ってくれた。
ローカルアフリカ人の大衆をかき分けてタクシーを捕まえてくれた。
ボディーランゲージを交えたフランス語で、値段交渉をしてくれた。
わたしは極めてポジティブな人間であるため、
冷静に考えると、生きる上での基本動作でかないアフリカ系男子のこれらの行動も、
あたかも、白馬の騎士が自分を守ってくれている様に見えるといった錯覚に陥りそうになるのだ。
4.アフリカ系男子との恋の障壁
さて、ここまで淡々とアフリカ系男子の魅力について述べてきたつもりではあるが、
突如今、わたし自身の思い込みの強さと勘違い指数の高さを露呈しているに他ならないのではないかという危機感に陥っている。
大丈夫だろうか。
しかし、ここまで筆を進めてしまったのだ。書き切るしかない。
読者の皆さんにはきっとアフリカ系男子の魅力が伝わったはずであるため、
最後に、そんな魅力たっぷりの彼らとの恋愛事情における唯一の、そして最大の障壁に関して言及しなければならない。
アフリカ系男子との恋愛における障壁…
それは、アフリカ系男子がアフリカに在住していることである。
え?
当たり前だって?
そう、元々自明なことであり、アフリカ系男子がアフリカに住んでいるからアフリカ系男子であり、それがゆえに魅力が倍増しているのに、その障壁がアフリカそのものだなんて、もう何がなんだかわけがわからない。早口言葉みたいに、書いているわたしすらも、自分が何を言っているのか、意味が分からなくなってしまった。
ひとつだけ、確信を持って言えるのは、
万が一、わたしが勘違いに勘違いを重ねて、アフリカ系男子に恋をしてしまったとしよう。
そうすると、風流でユーモラスでコミュニケーション能力が高くてワイルドで格好いい彼らは、わたしにこう告げるだろう。
「みくちゃん…。気持ちは嬉しいよ。ありがとう。でも、みくちゃんは日本にいる。俺はアフリカにいる。遠すぎるだろう?」
しかし、わたしは極めてポジティブな人間であるため、
少し考えた後にこう答えるだろう。
「大丈夫だよ!だって、アフリカって千代田区の中にあるじゃない」
↓はじめましての方へ
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広告活動とは、商品に命を吹き込む行為である
今朝、美容院後に表参道を歩いていたら、たまたまlouis vuittonが店頭でショーを行っていた。
ハイブランドのランウェイを肉眼で見ることは初めてだった。
目を見張るモデルさんの華奢さに、
非日常なワクワク感がたくさん詰まった衣装に、
思わず足が立ちどまった。
「あぁ、本当に、美しい…」
【Louis Vuittonは年間幾らくらいの広告費を捻出しているのか】
ハイブランドであればあるほど、華やかなプロモーション活動を通して、ブランドイメージを維持していくことは必要不可欠であろう。
では、たとえ目の前に1つの100万円のLVのカバンがあるとすると、その内いくらがこのような広告宣伝費にあてられているのだろうか?
ふと、そんなことが気になり、わたしは帰り道の銀座線で、そっと同社の2016年度のアニュアルレポートを開いた。
↑表紙。
決算資料のくせに、いちいち美しい。
さすが世界のLVMH。
さて、Amazonのアニュアルレポートでは、冒頭に1997年の株主にあてたレターが添えられており、利益率よりも長期的なキャッシュフローの最大化を一番の目的とするゾベス氏の理念が記されている。
When forced to choose between optimizing the appearance of our GAAP accounting and maximizing
the present value of future cash flows, we’ll take the cash flows.
(もし、決算結果とフリーキャッシュフローの最大化、どちらかの選択を迫られたとき、我々キャッシュフローを取るだろう)
では、LVMHの理念 とは何だろう。
もしや、キャッシュフローならぬ、広告宣伝費の最大化だろうか。
わたしは、わくわくしながら、ページをめくった。
……。
……!?
なんということだ。
めくっても、めくっても、数字が出てこない。
忘れないでいただきたい。これは顧客向けパンフレットではない。
一応、投資家向けのアニュアルレポートである。オシャレすぎワロタ。
そして、金融業界の先輩よりご指摘があり、アニュアルレポートではなく、Financial Statementに記載があることを発見!!
↑ 2016 Consolidated financial statement LVMH
直近の売上が37,600 million EURであるのに対し、広告宣伝費(Advertising and promotion expenses)が4,242 million EURになっていますね。よって、非常にざっっっっっっくり言えば、売上対比11%程度。
つまり、100万円のバックを買ったら、11万円がモデルさんへのお給料や雑誌の掲載や広告の作成に使われていると。
意外と思ったよりも少ないと思ったのはわたしだけだろうか。
【広告とは何か】
キングコング西野さんが「ニュースにしてもらうより、ニュースを作る側に回れ」、「国民総クリエイターの時代。面白いコンテンツがあったら、皆が写真を撮ってインスタで勝手に宣伝してくれる」と言った意図の発言をされていたり。
電通の労務問題などもあり、ようは「広告なんてしゃらくせえ」と、
メディアを通じてマスに一方的に発信するいゆわる伝統的な広告は少しずつ力を失い、段々と格好悪くなってきたというのが最近の風潮ではないだろうか。
中には、「ネット社会では、良い商品は口コミで広がっていくものだ。広告に頼っている時点で時代遅れ」という声もあるし、コストパフォーマンスが重視される時代では、なるべくコストを削って、安く、良いものを求められる世の中に、今後もどんどん加速するだろう。
【広告とは、商品に命を吹き込むもの】
その中で、ある意味時代と逆行するかのごとく、今でもじゃぶじゃぶに広告宣伝費を投入し続け、且つクールなイメージを打ち出しているハイブランド業界が、わたしはとても好きだ。
例えば、年に1度開かれるVictoria's Secretという下着メーカーのファッションショーは、全世界の10代20代の女の子たちの憧れの的といっても過言じゃない。
わたしも例にもれず、通称Angelと呼ばれるこのショーモデルに憧れて、「今年はどんな演出がるのだろう?」と、毎年9月の開催を指折り待ちわびていた。
そしてショーの後は、少し奮発した買ったVictoria's Secretの下着を身に着けただけで、モデルさんたちと一緒に舞台に立ったような不思議な高揚感を味わえたものだった。
また、同じように好きなブランドがティファニー。
正直値段はとても高く、デザインもシンプルでコストパの概念から最も遠いブランドである一方、
彼らが打ち出しているイメージ広告が毎度毎度、あまりにも心温まる素敵な内容であるため、ついつい目が離せなくなる。
そして、ときたまティファニーのシンボルである青い箱をプレゼントとして受け取った暁には、
自分も、物語のヒロインのような、そんな夢見心地なくらい幸せな気持ちになれるのだった。
ただの下着なのに。
ただの指輪なのに。
ただのカバンなのに。
それなのに、手に入れた時は普段よりずっと感情が高ぶって、身に着けた瞬間は最高にうれしくて、いつまでも眺めていたいと、肌身離さずお守りのように持ち歩きたいと。
ひとつのモノに、そんな愛情を、物語を、命を吹き込んでくれる。
それが広告の使命でなんじゃないかな。
綺麗なモデルさんを見て、なんだか悔しくて唇をかみしめた思い出も、新しい夢を抱く原動力へと繋がっていく。
だから、11%と言わず、LVMHグループには今後もじゃぶじゃぶ広告宣伝費をつぎ込んでほしいものである。
↑美しいモデルさんと反して、醜い嫉妬に駆られたアカウントがこちらとなります。
(散文小説) 由香子、30歳。迷えるアラサーの日々。
仲良し会社同期女性4人組と背伸びして予約したペニンシュラのディナー。
運ばれてきたプレートの中に、「由香子、Happy 30'th Birthday!」の文字が踊っていた。
大阪在住で、ANAに入社してから8年目。
中肉中背で塩顔、なんとかなると明るい性格を持つ由香子は、一見行動派で頭の回転が速いが、とある根深いコンプレックスを持っている。
小さい頃から憧れのCAに採用された、と内定の電話を受け取った時、由香子は22年間の人生で一番の幸福感に包まれた。きっとこれからたくさん素敵な男性と出逢うのだろう。きっと海外を飛び回って、たくさんの新しい世界を知っていくんだろう。
そんな希望に包まれていた由香子であったが、「コツコツと丁寧に根気強く物事をこなす」ということが大の苦手彼女は、入社早々、壁にぶつかった。いや、8年間壁にぶつけ続けているといっても過言ではないだろう。
同期が、国内線、海外線、長期便…と、どんどん信頼を積み重ね、仕事の難易度を高めていく中、基本的なことで躓いていた由香子は、いつまで経っても、東京ー福岡便を任されるのが関の山だった。最初は着くたびに毎回楽しみにしていた豚骨ラーメンも、自分の惨めさ、不甲斐なさを彷彿させるようで、匂いを嗅ぐだけで吐き気がする程、大っ嫌いになった。
「なんでみんなに出来ることが、わたしにはできないのだろう…」
やり場のない焦燥感だけがどんどん膨らみ、
抱いていた自信と希望が音を立てて萎んでいく。
当初想像していた華やかな世界はどんどん遠ざかる。
ストレスと焦燥感からくる仕事のミスの多さが原因で、仕事の評価はどんどん下がる。
そして3年経ったとき、遂に由香子は地上職へ転置替えという異例の人事発令が出た。これが、自らのパフォーマンスの悪さが故であるということは自明であった。それは由香子にとって、言葉に出来ない程、悔しく苦しい経験となった。
それでも、CAで飛び回っていた時代と比べて、時間に余裕が出来たんだ。もう一度頑張ろうと、プラス思考で気を取り直したのもむなしく、事務仕事が増えたことによって、由香子にとって唯一楽しかったお客さんとの会話、新しい世界を垣間見る瞬間も全て一掃され、「安定した、でもつまらない仕事、苦手な仕事」一色となった。
完全に負のスパイラルに陥った。
精神が蝕まれていく中、それでも、仕事を続けてきた理由は、小さい頃からCAという職業に抱いていた強烈な憧れ、ANAというブランドの響きをこよなく愛していた由香子のプライドがあったからに他ならない。
そして、CAとして叶えたかった夢、例えばビジネスクラスやファーストクラスで華麗にサーブし、有名人と友達になるといったミーハーなことから、中南米、ヨーロッパを飛び回りたいといった幼き日の願望が、由香子を引き留めた。
人は、夢をあきらめるなという。
仕事から逃げるなという。
ひとつの職場でダメで逃げてしまった人は、次でも上手くいかないに違いないだという。
だったら、何度やってもだめだったわたしはどうすればよいのだろうか、と由香子は途方に暮れた。
そんな由香子の強みは、行動力と機転の速さであった。
そして、既存のセオリーに囚われない道筋を立てるといった戦略性、道筋を立てた後に大胆に仕事を他人に振り分けられるところも長所と言えるだろう。良くも悪くも、それは、皆と同じ王道では勝負できず、且つ自身の緻密さや丁寧さといった処理能力が低いが故に編み出した、彼女なりの生存戦略であった。
4年前に彼女が恋人と副業で始めた越境ECは大成功を収めた。なんてことない、恋人が大の日本酒好きであったため、彼がピックアップした日本酒に説明文を付けて中国のAlibabaのECサイトで売り始めたら、たちまち大ヒットしたのである。
成功の背景には彼女自身のトレンドを追う力、先見性などもあったが、時流の良さや運の要素も多い。そして、スモールビジネスをひとつ成功させてくらいでは、到底事業者として一生食っていく能力には匹敵しないことは、誰よりも由香子自身が知っていた。
「これから、わたしはどうやって生きていけばいいのだろう?
同期がチーフパーサ等一歩ずつ着実にキャリアを積み重ねている。また、中には早々と結婚して家庭に入り、育児に励んでいえる人もいれば、CAのスキルは汎用性がないから、と華やかなタイトルを手放し、他業界でバリバリ専門職としてのスキルを積み上げている友人もいる。
方向性は違えど、皆、自分の人生に腹をくくって、覚悟を決めて、前に進んでいる。
それに対して、由香子はいつまで経っても、叶えられなかった夢に思いを馳せ、一度手にした華やかなタイトルに自身のアイデンティティを重ね、結果同じところで立ちどまっている。
彼女が苦手としている、粛々と物事を丁寧に緻密に推進していく能力は、大企業、否、日本における組織であればどこでも求められるスキルであることは、由香子も薄々と気付いていた。つまり、組織人としてソツなくこなすということが苦手である以上、それはANAを離れても、転職しても同じことが繰り返されるだろうということも、由香子は知っていた。
そう。知っていたからこそ、踏み出せなかった。飛び出せなかった。
そんな由香子でも、越境ECや趣味である料理では、細部の細部まで拘りぬいていたので、丁寧に物事を進めることが全くできないというわけではない。ただ、その場合は、売上や食べてくれた人の表情、感想がすぐに分かるといった分かりやすいニンジンが目の前にぶら下がっているという、非常に限定された状況下である必要がある。
そんな自分の面倒くささ、扱いづらさに由香子は苦笑した。
最近、由香子を自分の会社においでよ、と誘ってくれた人がいた。「由香子ちゃんの空気が読めないところが、凄くいい」と、彼は言った。本当にうれしかった。こんな自分でも必要としてくれる、活躍できそうだからうちに来てほしいと言ってくれる人がいるなんて。言葉にできないくらい、感激した。
同時に、由香子は不安になった。
30歳になったからには、もう失敗はできない。
大学時代のバイトのように、面白そうだからと飛び込んで、でも違ったからやーめた、なんて無責任なこともできない。
業界を変えて、自分のタイトルも捨てて、そして自分に期待して手を差し伸べてくれた人に応えるためにも、
やるからには、今回はぜったいにぜったいに成功させなければいけない。
ふと顔を挙げると、飛行機が一機、そしてまた一機秋の空に向かっていくのに、
思いが強くなれなばるほど、わたしははじめの一歩が出なくなる。飛びだてなくなる…。
30歳の秋。
遠くで高々と飛びだっていく飛行機の手前で、ノロノロと低空飛行しているツバメに、由香子は自分の姿を重ねたのだった。
今まで誰にも話せなかった、わたしの理想のデートプラン
「未来ちゃんは、どんな食べ物が好き?」
「……カルボナーラです。」
金曜午後20時、代官山にある予約が取りずらいイタリアンバル。
頭を傾けて少し考えた後、周りの雑音に掻き消されない程度の控えめな声で、わたしは答えた。
ははは、俺も好きだよ、よく家で作るし、と彼はワイングラスを傾ける。
まんまるなグラスの中央に、うす紫色の弧が描かれた。
上司、先輩、後輩、友人、デート相手など。
生まれてから28年間、さまざまな場面で、いろいろな相手から幾度なく尋ねられたこの質問に、わたしは未だにうまく答えることが出来ない。
質素な中国家庭で生まれ育ったわたしは、幼少期ほぼ100%中華料理を食べて育った影響もあり、
洋食に関しては、実は、今でもとても疎い。
数か月前に、表参道のオシャレなオープンテラスで女友達と食べた麵状のSomethingがとてもおいしく、それがカルボナーラという名前だった気がする。
だけど、
カルボナーラが果たして、一体どのような形状で、どのような味だったのか。
正直言って、全く記憶にない。
(嘘は言っていないんだけど…)
わたしは苦笑した。
万が一、カルボナーラと刀削麺との違いでも聞かれた際にはわたしはパニックに陥り、
顔面蒼白となって泡を吹きながら、椅子から崩れ落ちるであろう。
そんなわたしが、目を閉じれば、瞼の裏に焼き付くくらい、強烈に好きな食べ物がある。
それは、馬肉である。
鶏でも豚でも牛でもない、馬肉がわたしの最愛であるのだ。
「じゃあ、未来ちゃんは、どんなデートが好きなの?」
彼は、質問を続ける。
わたしは、再び、頭を抱える。
実は、わたしはまだ実現させていない、理想のデートプランがある。
今日の今まで、
誰にも言ったことがないが、勇気を振り絞って、ここで告白したいと思う。
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まず、朝早く、日が昇って間のない時間に起床する。
そして、眠い目をこすりながら、スターバックスで眠気覚ましのコーヒーを購入した後、
海岸に向かって車を走らせる。
ひとつめの目的地、九十九里浜での早朝乗馬プログラムに参加するために。
乗馬前に、軽やかなさざなみに耳を傾けながら、手を取り合って海岸を歩いてみてもいいだろう。
肌寒い海風が、きっと二人の距離を縮めるに違いない。
お互い乗馬の初心者であるため、不慣れな場面や、格好悪い場面もたくさんあるだろう。
もしかしたら、馬から落っこっちゃうことだって、あるかもしれない。
そういう時は、くすっと笑った後に、そっと手を差し伸べてほしい。
「ばか、なーにやってんだよ」と馬から降りずに、上から一瞥されるのも、そんな亭主関白っぽさも、非日常のシチュエーションではいつとなく格好良く映るだろう。
吊り橋効果ならぬ、落馬効果で二人の心は一気に縮まるのだ。
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そして、気持ち良い汗を流した昼過ぎ、わたしたちは再び車を走らせ都内に向かう。
次の目的地。
渋谷WINS。
そこは、純粋に競馬を愛し、競馬に命を懸け、競馬に家庭と財産を捧げた、熱きガチ勢である紳士たちの戦いの場であり、パットク最前列で「○○ちゃーん♡」と叫ぶウマジョはいない。
わたしは、回りの常連さんを見習って、赤い鉛筆を耳に甲に挟み、
新聞紙を広げて、画面に映る悠々とした馬達の激走を眺めるだろう。
身体を動かした後は、そう、頭を動かす番だ。
華僑らしく、幼いころから教育に厳しい両親に、文武両道の精神を叩き込まれたわたしの真面目な性分が、またもや発揮されてしまったようだ。
「どーしよっかなぁ♡どれを買えばいいかなぁ?」
甘えた声でデート相手に寄りかかりながら、わたしは、どれに賭けるか彼に真剣に相談したい。
そして、確率論を用いた熟考の後、手持ち予算で綿密なポートフォリオを組み、出来うる限りのリスク回避を図りながらアップサイドを狙いに行きたい。
時には、周りにいる紳士たちに白いで見られたり、舌打ちされたり、
「タバコ1個とスルメを交換してくれ!」と絡まれることもあるかもしれない。
が、それもこれもご愛嬌だ。
そして、幾層なる情報収集の後、
「このレースは、この馬で間違いない!」
と、自信をもって賭けたレース程、目も当てられない程ズタボロに負け、金券だと思っていた馬券をただのゴミクズに変えていく様子を、唖然と眺めながら、競馬初心者のわたしと彼は、気持ちがいいほど、持ち金を跡形もなく、すべて無に溶かすだろう。
そこで、わたしたちは人生の儚さ、栄枯必衰の理を学ぶのである。
「大丈夫。〇〇くんの予想が外れていても、わたしを選んでくれた〇〇くんの先見の眼は間違いないよ♡」
こうして、自分を信じられなくなった…と涙ぐむ彼に対して、わたしは笑顔で、無邪気に慰めるであろう。
その言葉によって、彼がより、自分の選別眼に対する疑いを強くすることも知らずに…。
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光陰矢の如し。
時が過ぎるのは早いもので、こんな風に楽しんでいる内に、すっかり日は暮れてしまった。
気付けば、空は真っ黒になり、意気揚々と威勢を張っていた画面の中の馬たちも、疲れた足取りで馬舎へ帰っていく。
そんな光景を見守りながら、わたしたちもディナーに向かう時間になったと気付く。
次の行き先、それは…、
最後の目的地。一日の締めくくりは、馬肉バル以外、ありえない。
そこで、我々は、走馬燈のように楽しかった一日を思い出すであろう。
ドキドキしながら触れた馬のタテガミは思ったよりも固くなめらかで、
固い皮膚の下にある体温のぬくもりや心臓の鼓動に心を躍らせた朝。
バランスを取ることに苦労しながら、徐々にペースを掴めるようになり、最後には相棒のような、古くからの友人のような以心伝心する感覚を味わえた乗馬体験。
悶々とした空気感の中、男女老若、皆でひとつとなって、画面の中の悠々とした馬のレースに釘付けになったお昼。
ランチ後の眠気を一瞬で吹っ飛ばした、馬とジョッキたちの息をのむような真剣レース。
握りしめた馬券は汗でクシャクシャになってしまった。
そうやって、わたしたちを、一日中楽しませてくれた、馬々たちが、今、目の前のお皿に鎮座しているのだ。
その生命の儚さ。尊さ。
そう、わたしの理想のデートのゴール。それは…、
涙を流しながら、馬肉を喰らいたい。
みっともないと言われようが、
馬面のような泣き顔だと言われようが、
わたしは真珠のような大粒の涙を滴らせながら、
目の前の皿に真剣に対峙していくことだろう…
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「…で、未来ちゃんは、どんなデートが好きなんだっけ?」
沈黙を破るように、彼が質問を繰り返した。
ハッと、わたしは顔をあげた。
「そうですね…理想のデートプランは…」
少し考えたあとに、言葉をつづけた。
「スポーツをして、そのあとにスポーツ鑑賞をすることです。一日の最後は、焼肉を食べに行きたいですね!」
↓はじめましての方へ
キス率100%の卑猥極まりないデートスポットに潜入してきた
空もぐーんと高くなった秋日。
昨日わたしは香港から来日した友人と、田町で大好きな馬肉を食していた。
そのあと、二軒目はどうしようかと考えていた時、
ふと10年ほど前、大学生になりたての時に訪れたプラネタリウムバーが、近くにあることを思い出した。
高校から大学にかけて、わたしは生粋の天文オタクであり、ハワイにあるすばる天文台へ観測に出掛けてこともあった。
携帯を手に取り検索したところ、3km先という、
まずまずな距離にあることが分かり、タクシーで移動した。
10年ぶり、2度目の再訪である。
ワクワクを胸に詰め込んで、お店のドアを開けたところ、わたしは驚愕した。
真っ暗である。
プラネタリウムを投影しているということで、ある程度覚悟はしていたものの、
予想を上回る漆黒の店内、漂う妖艶なかほり、映し出される爽やかな星空。
案内された席は、ソファー席である。もちろん、ペア仕様のミニサイズである。
10分前まで、オレンジ色にガンガン照らされた馬肉バルで、対面となって健全な会話を交わしていたわたしたちは、突如暗黒且つエロさがぷんぷんに漂う店内に放り出された。雄大な星空の下で、強制的な0距離感覚。ロマンとエロスが織り成すハーモニー。
モンゴルのゲルから突如草原に放り出された子羊のように、わたしたち二人は、しばらく、呆然と、言葉を失った。
このようなシチュエーション下では、キスしない方がおかしい。
店内の雰囲気、匂い、音楽、すべてがキスへの布石にしか感じられない。
夜空の星はキスへのマイルストーンであり、天の川はキスへのミルキーウェイである。
この港区に位置する小部屋は、もはや日本じゃない。
ツツイ白金台ビル5階の正面扉は、キスすることが目的であり、正義であり、全てであるキスの聖地に繋がるワープの入口なのだ。
ここに来た人類は、皆、織姫と彦星になった気持ちで、全力でキスするしかない。
ここまで来て、キスをしない不届きものは、犯罪者だ。処刑だ。断末魔のような叫び声をあげるまで小一時間胸ぐらをつかんで、キスのお仕置きを課したい。
「こんな卑猥なところに連れてきやがって…」と性犯罪予備者として起訴されてもおかしくないシチュエーションの中、さすがのHong Kongあがり英国流紳士の友人は、戸惑う心を隠して、始終ジェントルな態度を保った。そして、ウィスキーをすすめるわたしをスマートに交わし、照れ隠しのようにChina Blueを注文した。
時間が経ち、ようやく前方の席に座るカップルがいちゃつく様子を確認できるくらい、暗闇に目が慣れきた。
「あ、流れ星だね♡」と指さした後に、キスし始めた左横のカップルを横目に、
わたしはオリオン座の中央に位置するオリオン大星雲を指さし、超新星爆発理論と恒星の生誕に関して解説した。
目の前に広がる雄大な天の川、数万光年、数億光年先に光る星の命に心を打たれながら、
10年もの間存続してきた店の命の儚さに胸を打たれ、目頭が熱くなった。
そういえば、オシャレでおいしい飲食店の激戦区である大都市TOKYOで、このお店はどうして10年もの間、存続できたのだろうか。
そう疑問に感じながら、わたしは夜空に、そして経営に思いを馳せた。
①収益分析
- 港区の白金台に位置する同店の営業時間は19時~26時。
- 座席数は28、2時間制となっている。6時間の営業時間の内、時間帯によって回転数を保守的に設定。
- 食べログを見ると、平均客単価3000~3999円となっており、平均客単価は3500円と仮定。
- 人件費を全時間帯1600円/h、開店閉店準備時間3時間/日、全時間帯1.5人と仮定。
- 同ビルの空室階の賃料を元に、地帯賃料を45万/月と仮定。
①日別売上:
19:00-21:00: 満席率0.5 x 28 x 3500 = 49,000
21:00-23:00: 満席率0.8 x 28 x 3500 = 78,400
23:00-25:00: 満席率 0.2 x 28 x 3500 = 19,600
合計:166,600 円/日
②月間売上(①x30): 166,600 x 30 = 5,000,000 円(おおよそ)
③原価 (②x30%):1,500,000円
④人件費:(6+3) x 1.5 x 1600 x 30 = 648,000円
⑤光熱水道費:100,000円
⑥賃貸地代:450,000円
営業利益(②-③-④-⑤-⑥)=2,303,000円/月
店内が真っ暗で何も見えないため、内装費が余りかからなく、料理やお酒も凝った見た目にする必要がない。ただただプラネタリウムを投射して、店員さんを1人置けば、客は勝手にキスをはじめ、月200万以上の利益が出る。
なんというイージーゲーム。
「だったら、わたしたちも始めてみよう!!香港で一緒にお店を始めよう!今すぐ!NOW!」
と、星を数えて皮算用をした後に、わたしは鼻息荒く、友人の肩を揺さぶった。
②当ビジネスモデルのボトルネック
当店は100%コンセプト先行型のお店であり、初回訪問時の「わあ♡素敵♡」というサプライズが大きい分、何回も行くお店ではない。少なくとも同じ相手とは1回行けば十分だろう。
「インパクト大&コンセプト先行型&同じ相手とは1回しか行けない」お店という意味では、同店は新宿歌舞伎町にあるロボットレストランが同じジャンルといえる。
しかし、同店はロボットレストランとは圧倒的に違う点が2つある。
1つは、ロボットレストランはインバウンド観光客、ビジネス接待、友人家族層と、ターゲット層が広いのに対し、
プラネタリウムバーは、コンセプトの性質上、付き合いが浅いカップル、もしくは未だ付き合ってすらいないカップルというめちゃくちゃ狭い顧客層のみにしかアプローチできない。
更に、立地が白金台の住宅地のど真ん中という、基本的にタクシーでの訪問、且つあらかじめ当店の訪問を明確に目的とした層しか取り込めない。
つまり、ロボットレストランのように、歌舞伎町で飲んでいたらたまたま看板を見かけて、ノリで入ってみた~…というような集客は一切見込めず、
タクシー移動を前提としたそこそこ金持ちで、そしてプラネタリウムバーへの訪問を最初から意図していていた、付き合いが浅く、更にそのエロい雰囲気をフル活用しようと下心を持ったカップル
つまり、
キスに飢えていて、キスがしたくてしたくて震えている、でも普通のシチュエーションではキスできないモンゴルに居る子羊のような迷える小金持ち
という、めっっっちゃくちゃ狭い層にしかターゲットにできない、かなりニッチなビジネス形態であることがお分かりいただけるであろうか。
よって、このような店を経営・維持するためには、このようなニッチな客層に鋭くリーチし、絶えず新規にて取り込み続ける圧倒的なマーケティング手腕が必要なのであるのだ。
その労力の壮大さ、まさに、天の川…。
③総括
20時に田町の馬肉屋さんで集合してから5時間が経った。
丸い天井を駆け抜けていく流れ星を見たのは、何回目だろうか。もう数えきれない。
左前でイチャついていたカップルは、手を繋いでとっくに店を出ていった。
右手にいるカップルも、気付かずない内に、いつの間にいなくなっていた。
確認していないけど、絶対にキスをしただろう。そうであるに違いない。
マスターの閉店の合図とともに、わたしと友人はほくほくした気持ちで店を立ち去った。
星を数えた。
皮算用もした。
キスはしていない。
↓はじめましての方へ
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土曜日の朝。
わたしは、とても悩んでいた。
週末にかけて、とある作成中の英文資料を、なんとかブラッシュアップさせなければいけない。
しかし、如何せん未経験の分野であるため、どこをどう直せばよいのかさっぱり見当すらつかなく、わたしは途方に暮れた。
英語ネイティブの友人達には、最低限の修正はすでに頼んでいたため、これ以上のアドバイスを得られるアテもなかった。
困り切ったわたしは、最後の頼みの綱として、ブログを楽しく読んでいますと、数週間前に連絡をくれたSさんを思い出した。確か、彼はアメリカの西海岸で仕事をしていたなと。ならば、今作ろうとしてるジャンルの資料に関して、多少なりとも経験があるはずだと、藁にもすがる思いで連絡をした。
「Sさん、このような資料を作ろうとしているのですが、よろしかったら、英語の部分だけでも少し見てもらえますか?」
「もちろん!こちらのアドレスに送ってください~」
二つ返事で快諾してくれたSさんに資料を送付したところ、15分後にこんなメッセージが来た。
「資料は読みました。追加で質問したいことと修正点がいくつかあるので、〇〇(私の最寄り駅)の喫茶店で作業しませんか?」
せいぜい1、2か所指摘をくれたら御の字だと思っていたところ、思いがけない真剣な返信に、わたしはとても驚いた。その後、急遽Sさんと初対面が決まり、1時間後に自宅で一緒に作業することが決定したのである。
そして、結論から言うと、Sさんはわたしに根気よく付き合ってくれ、
土日2日間あわせて8時間かけて、資料を丸ごとと言っていいほど作り直したのだった。
それはそれは、単調な作業の積み重ねだった。
「みくさんはどういうことを言いたかったの?とりあえず、日本語で俺に言ってみて」
「今言ったことならば、△△という表現の方が合ってるよね。」
「この部分がとても良いから、強調しよう。記載の順番を変えてみようか」
とても根気のいる、面白味のない作業の繰り返しであるにも関わらず、
Sさんはわたし同等の真剣さで、完成度にこだわってくれた。
さらに、資料の中に、自分自身に関して詳細に記載する必要があった。
自分自身をさらけ出すことは、勇気がいることだった。少し緊張しながらも、わたしは、自分の生い立ちや価値観をいちから説明した。
「みくさん、それ、めっちゃいいね!笑」
「資料に落とし込めないけど、今の部分はすっごく面白いから、口頭で話そう!」
そう言っては、優しい笑顔と共に無邪気に励ましてくれた。
一日の作業が終わり、 Sさんを駅に送る道の最中に、ブログの話になった。
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「遠い海を越えたところまで、みくさんの文章は届いていて、元気をくれたんだよ。」
歩きなれた街並みがいつもより煌いているように感じた。
あぁ、ブログをやってきて本当によかったと人生で一番強く思った。
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ここまで手助けしてくれたSさんにお礼を込めてご馳走したいという意図のもと、「じゃあ、お祝いに行きましょう!」とわたしが言った。すると、
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