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未来日記

恋に、仕事に、日々の日常について語る日記です。日常に、ワクワクという名の希望を届けていきたい。

差し出された好意ではなく、拾い上げた素顔に人は恋をする。

「笑いってね、2種類あるんだよ」
 

雨が降る昼盛り、オフィス下の焼き鳥屋さんで親子丼を頬張りながら、先輩(36歳、既婚、子連れ)が呟いた。

 
「お笑い番組を見ている時のような愉快な笑いってあるでしょ。でもね、子供を持つと、幸せな気持ちから滲み出る笑いをいうものをあるということを、発見したんだよ。たとえば、今年の春、娘が小学校に入学したのだけれどね」

 
一息をついて、味噌汁をすする。
 
 
「ランドセルを背負った娘の姿を見たときに、こう、じわーーーーと家内も自分も、何とも言えない笑顔になってね。娘の成長に気付いた時に湧き上がる笑い。それは、ただただ差し出された愉快な笑いとは比べられないほど、人を幸せにするものだよ」

 

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失恋直前&失恋直後のアラサー女二人にとってはカンフル剤のような心温まる話であった。
  
コーヒーを買ってオフィスに戻ると、まだ胸に、じんわりと温かい幸せな気持ちが残っている。
 
子どもを持ったことのない私には、ランドセルを背負った娘を目にする幸せはまだ分からないかもけれども、先輩の言うことが何となく理解できるような気がした。
 
 
数年前の春。

 
指導教官の松本先生による学期末の最後の授業の光景が、頭に浮かんだ。すぐそこまで来ている春休みの始まりに心を奪われた学生たちの喧騒が溢れかえった教室の中で、10秒ほどだろうか。最後の方程式を書き終えた先生はチョークを置き、皆を一瞥した後に、「1年間、ありがとうございました」と深々と頭を下げた。

 
先生の凛とした謙虚な姿勢、仕事へのプライドを垣間見た私はひどく感動した。1年間受けた電磁気学の授業の肝心の中身は全く頭に入らなかったけれども、ピンと背中を伸ばした退職間際の松本先生の後ろ姿、深々と頭を下げた残像は、心に深く刻まれた。その後、私は迷わずに松本先生の研究室への配属希望を出した。

 
季節は廻り、数年後の春。

 
温かい昼盛りに、付き合いだしたばかりの彼と、彼が買ったばかりの一眼レフカメラを手に取ってはしゃいでいた。これを持ってどこへ行こうか?何を撮ろうか?夢と思いは膨らみ、気持ちは大きくなった。そんな矢先に、ソファーから立ち上がった彼は、大きな音を立てながら、手に持っていたカメラを派手に床に落とした。

 
私たちは、呆然と固まった。
 
彼は買ったばかりの8万円のカメラに、私はポッコリ凹んだ賃貸マンションの床に、愕然とした。

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その数秒後、何を思ったか、彼はカメラを拾い、唾をつけた指で3回、カメラを擦った。
 
「まだ新しいのに、傷がついちゃって、可哀想に・・・」
彼のつぶやきを聞いて、この【カメラに唾をつける】という謎の行為は、転んで擦りむいた膝小僧には唾を付けて治す、という行為と同じロジック下で行われていると理解した。
 
なんて…動物的な人なんだろう。
私は恋心を強くした。そして、彼の理屈に従うのならば、綺麗に凹んだ私の床も舐めて治してくれるのだろうか。いや、舐められても困るのだけれども…。複雑な心境が吊り橋効果を高めたのだろうか。私は、彼の次のアクションに胸を膨らませた。
 
しかし、期待に反して、何も起こらなかった。そもそも、彼は床の傷にすら気づいていないらしい。そんなちょっと自己中心的なところも愛おしく感じた、春のひと時だった。
 
 
時は巡って、初夏。
 
トキの大群が南下する季節に合わせたのか、動物的な彼との恋もあっさりと終わりを迎え、私は残された床の傷を眺めながら、心の傷を舐め回していた。
 
そんな傷心した姿を見兼ねた女性の先輩が飲みに連れて行ってくれることになった。

 
忙しい彼女の予定に合わせて、待ち合わせを当初の予定より1時間半遅らせた後に、私は先に到着した店先でサングリアを飲みながら、彼女を待っていた。オレンジの酸味が夏の暑さにとてもマッチしている。ほろ酔い気分で窓の外を一瞥すると、黒いイブニングドレスのようなワンピースにピンヒールを身につけた美人がこちらに向けて爆走している。

「未来ちゃん、遅れた!!ごめん!大丈夫?」
 
結婚式帰りのような綺麗な格好をしているのに。めちゃくちゃ仕事で忙しいのに。無理して時間を作って、走って駆けつけてくれたんだ。そんな情に深い、優しい先輩の姿を見た瞬間、あぁ、なんて温かいのだろうと、熱いものがこみ上げてきた。そして、私の憂鬱は、彼女が店に入ってきたあの瞬間に、既にきれいさっぱり、吹き飛んでいったのであった。

 
小さい子供は、成長していく過程で、日常生活の中で、たくさんの素顔をこぼしていく。それをひとつひとつ拾い上げる喜び、それが第2の笑いの正体なのだろう。

 
松本先生が一生懸命指導してくれた授業も、彼との楽しいデートも、先輩の慰めの言葉も、時間と共に記憶の中に溶け込んでいき、今は霞のようにしか思い出せない。差し出された好意は、悲しいことに経年風化していく。でも、瞬間瞬間に発見した「その人らしさ」は、瞼を閉じればその裏に映し出されるように、くっきりと浮かび上がってくる。心の引き出しから取り出すたびに、いつだって、幸せ記憶と共に、蘇せることが出来る。


そのたびに、私は何度も、何度も、恋をしていくのだろう。

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