楽しみな予定ほど、ドタキャンされても全然構わない。
旅行の飛行機をとるときは、いつも緊張する。
名前や生年月日は間違っていないか。
日程はあっているか。
手配する立場として、本当に無事に旅行を実行させられるのか…。
12月中盤に台湾旅行へ行くことが決まり、Skyscannerでチケットを手配した今朝も、例に漏れず、ドキドキしながら最後の決済ボタンをエイッと押した。
しかし、いつもとひとつ違うことがあった。
それは、余りにも嬉しすぎて、楽しみで楽しみで楽しみすぎて、
チケットが取れた瞬間に旅行が実行できるかどうか、全くもってどうでも良くなったからである。
元々生粋の中国生まれ中国育ちの私にとって、文字も言語も全て分かってしまう台湾は、海外旅行の行先としてなんの新鮮感もない。飲茶も夜市も、東京から大阪に出掛けてたこ焼きを喰らう程度の付加価値しかない上に、昨年だけで計7か国累計4回海外旅行に出掛けてしまったため、旅行という行為自体に飽きてしまったのだ。
そんなコンテンツ自体に1mmもの魅力も期待もない台湾旅行だが、同行する友人が、以前、「千と千尋の隠しの舞台となった九分を見てみたい、九分が人生で一番行きたい場所なんだ」と話してくれた。
長年憧れていた九分を訪れて喜ぶ友人の笑顔、それは私にとっての新鮮で魅力的で期待値の高い最高のコンテンツになると確信した。
そして今朝、通勤の半蔵門線の中で実際に飛行機を予約した瞬間、九分の風景と友人のはしゃぐ可愛い姿が鮮明に脳裏に浮かんだ。
最近仕事で色々思い悩むことがあり、昨夜など一睡もできないくらい気持ちがふさぎ込んでいたが、脳裏に浮かんだその光景が、全ての疲れと憂鬱を吹き飛ばしてくれた。そして、「今日も頑張ろう。せめて1か月後の台湾に行く日まで、しっかりと生きてやろう」と、体の奥底から熱いエネルギーが湧きあがった。
流れていく日常の中で、希望という名の感情を手に入れる機会はなかなかない。
例えこの約束が実現されなくても、先払いした数万円のチケットが無駄になったとしても、友人の笑顔を実際に見ることがなかったとしても、確かな実感を伴った希望が、たった一瞬でも、私を心底楽しませてくれたのだ。
それで充分だと感じた。
だからこそ、本当に楽しみで楽しみで仕方ない予定ほど、意外にドタキャンされても全然かまわないのだと気づいた。むしろ、昔からの約束であるほど、そして直前のドタキャンであればあるほど、長い間希望と妄想で楽しませてもらったことになる。感謝しても、お釣りが出るくらいじゃないか。
自分を含め人間は気まぐれな生き物だし、トランプは大統領になるし、人生何が起こるか本当に予想できない。
わからないからこそ、タナボタ的に外部から降ってくる「楽しいこと」ばかりに期待せずに、未来が楽しみだと思えるような、この人生をもっと生きてみたいと思えるような予定を、怖がらずに、ためらわずに、自ら積極的にどんどん仕込んでいきたい。
例え結果としてその予定が実現しなくても、シコシコと仕込んだ楽しみは、必ず希望のカケラとなって淡白な日常を彩ってくれる。
もうすぐやってくる、街がキラキラと輝く季節に合わせて。