自分の生きる理由と信念を悟った夜
「お前の人生って、ぜんぶ付和雷同だよな。」
最近こんな夢を抱いて、目指しているの!と、意気揚々に語る私に対して、彼は冷たく言い放った。
「いま語ったやりたいこと、全部相手ありきじゃん。なにか自分の腹の底から湧き上がる思いとかないわけ?」
なかなか厳しいことを言うな、と思った。
夢や目標を語ると、99%の人は、純粋に面白そうだね、応援するよと笑顔を並べてくれる。たが、目の前にいる、新卒で入った会社のこの先輩は、なかなかそれを許さない。
よくよく考えたら、彼は3年前にうちの会社を離れている起業家だから、もう先輩ですらないのに。なんて面倒くさい人なんだろう。
「何でそんなこと言うの、じゃあどうすればいいんだよ」、とイラつこうが、泣きわめこうが、ガン無視した上で、彼は自分が納得するまで本質的な問いをドストレートに心に投げてくる。
「そんな俺を説得したいがための言葉を並べても、それは腹からの言葉じゃない。」
「そもそも俺と知り合ってからのこの3年間でお前は、何をしてきたんだよ。」
「あれこれ手を出しているのに、なんで信念がまだ見えていないんだよ。」
「そもそも、お前の生きている意味はなんだよ。なんで生きてるんだよ」
今抱いているビジネスプランを具現化するための実務的なアドバイスをもらいに来たのに。各論に入る前の、本質的なそもそも論の部分から鋭い切込みを入れてくるから、話がややこしくなる。
華金で色めく丸の内のオシャレなレストランの中で、ただ一組だけ異様な空気間を漂わせながら、3時間がん詰めされて泣き散らかしているテーブルで、わたしは遂に悟ったのである。
1.わたしが生きている意味は、「内なる世界を拡張させること」
1.1 ディズニーランドでの原体験
一番最初の原体験としては20年前、6歳の時にはじめてディズニーランドに入ったときの思い出。
20年前の当時、日本と中国には大きな経済格差があった。わたしが住んでいた蘇州の下町では恐らく100人に1人も海外に行ったことがなかったし、行けると夢にも思えなかった、そんな時代だった。
「日本とアメリカにはこんな場所があってね」と、社会科の先生は幼稚園でわたしたちに白黒のミッキーとでシンデレラ城がプリントアウトされた紙芝居を見せた。
鮮明に覚えているのは、おともだちは誰も行きたいなんて言わなかったということ。
日本に住む子どもたちはずるいとも愚痴をこぼす園児すらいなかった。
だって、別世界の話なんだもん。
自分には全く関係ない、SFの世界。
それが、幸運にもわたしは両親に連れられて来日し、そんな行けるはずがないと思い込んでいたディズニーランドに、実際に足を踏み入れることが出来たのである。
6歳のその時の感動を、わたしは今でも鮮明に覚えている。
そして、その時に決めたことがある。
別世界だろうが、異次元だろうが、この世に実在する場所であれば、
どこまでもこの足で訪れてみよう。この目に焼き付けてこよう、と。
1.2 旅をすれば世界が横に広がる。新しい価値観に出逢えば、世界が縦に広がる。
そんな経緯もあり、15歳くらいまでのわたしの夢は世界中を旅すること、出来れば宇宙にも行ってみたいから宇宙飛行士になることの1点だった。
そんな中で、ある日高校の図書館で、わたしを震撼させた本に出逢った。
風と共に去りぬ、である。
その中で、主人公のスカーレット・オハラに心を打たれたのだが、
彼女一言でいえば、「特段めちゃくちゃ美人ではないが、自己主張が強く、感情の起伏が激しい、そして目的のためなら手段も択ばずに妹の婚約者をも奪い取る肉食系で、打算的かつ自己中な、淑女とはかけ離れた女」である。
今までの人生を通して、わたしは女性はかわいらしく、おしとやかに、優しく善良でいなければモテないと思っていた。少なくともそうふるまわなければ、他人から受け入れられるはずがないと思った。
だから、こんな主人公なんて有りなのかよと、冷や汗をかきながら、読了した後にYahoo!で「風と共に去りぬ 感想」「風と共に去りぬ スカーレット 性格」と、ぐぐりまくった。
すると、彼女は世代を経て、世界中にたくさんのファンを抱え、今でも多くの人を魅了し続けていることを知ったのである。自己中な肉食系ビッチなのに・・・!
スカーレットに出逢えたことは、
おしとやかに、善良になり切れない自分に悩んでいた17歳の自分にとって、
本当に世界が変わるくらい震撼した出来事であった。
これを通して、わたしは旅をするという手段以外にも、
何かを通して新しい価値観、視野、世界観に出逢うことによって、
自分自身の世界をまるっきり、変えることが出来るのだと知った。
そして、こんな風に、自分の内なる世界を横に、そして縦にどんどん広げていきたいと強く思った。
2.理念は「尊敬する人と一緒に、冒険し続ける人生を送ること」
2.1その人のことを好きかどうかは、重要じゃない
話が戻るが、先輩に理念をたずねられたとき、わたしはとっさに「好きな人とずっと一緒にいること」と答えた。
実際に、本当はこれが叶えば専業主婦でもいいと思っているけど、大好きな夫と結婚したって24時間365日一緒にいられるわけじゃないから、それならば好きな人をたくさん作って、彼らと一緒に仕事ができるような環境を作ることが自分の幸せかな、と考えていた。
しかし、これは正しくない。
まず、「好きな人」の定義とは、その人がたとえ困ったら、損得考えずに出来る限りのことをしてあげたいと思える人、つまり自分の中に静かな愛情が流れている対象人物を指す。この文脈で言えば、あてはまる友人知人は結構いる。
しかし、わたしは好きなだけの人とは、長時間一緒にいることが出来ない性分であることに気付いた。
だから、例えばものすごく大好きな女友達も、尊敬の気持ちがなければ、どうしても一緒に長い時間は過ごせない。大好きな彼氏も、尊敬の念が薄くなった暁には、デートしたい欲が途端に薄れる。逆に、いけ好かなくても、めちゃくちゃ尊敬している人であったら、老若男女飛んで会いに行きたい。積極的に一緒に時間を過ごしたい。
尊敬の定義は、「わたしに持っていない何かを持っていて、その何かに自分が共感し、強烈に惹かれている状態」である。なぜならば、そのマインドが、視点が、世界観が、わたしの世界を広げてワクワク感とドキドキ感を運んでくれるからだろう。
そして、わたしは冒険が好きだ。
冒険の定義とは、「ワクワク x ドキドキ x 不確実性」の3要素そろった行為であり、それが途上国だったり、投資だったり、ビジネスだったりする。わたしが国内旅行や、リゾート、水族館といったデート先に全く惹かれないのも、この冒険度指数が低いから。
だから、旅行に出かけるならば、途上国や全く語学が通じないところがいいし、デートするならば、下町の超大衆居酒屋や登山の方がワクワクする。なんなら一緒に仮想通貨のマイナーコインを買い集めて、ハラハラするのも楽しそう。笑
2.2人生の中のパーフェクトに幸せだった瞬間
いままでの人生の中で3回、「今この瞬間にもう死んでもいいや」と思えるほど幸せの絶頂を感じたことがある。
1回目は15歳のころ、Justineという友人と一緒に中国の地元の屋台を回っていた時。中国語がほとんど話せなかった自分にとって、百戦錬磨な地元民の大人たちと値段交渉をしなければ物が買えない市場で、大好きなJustineと回ったあの時間は本当にドキドキの連続で、忘れられない思い出になった。
2回目は20歳のころ、手品のボランティアでスリランカへ行った時。当時大好きで尊敬する人と一緒に、バスに乗って、迷いながらも手をつないで市場を回ってマンゴーをかじった瞬間は本当に楽しくてもう日本に帰らなくてもいい、この時がずっと続いたらいいのになと、心から願った。
3回目はつい先月。アフリカのベナンを訪れていた時だ。
車の中で、友人とクイズゴッコをしていた時に「もしあと1年しか命がないとしたら、こうさんは、何をする?」と尋ねられた。
その時に、自分でもびっくりしたのだけれども、何の迷いもなく、このままベナンに居続けたいと答えた。今と同じようにローカルな家で住みながら、彼の会社で仕事を手伝いたい。と。
なんなら、日本に戻って家族友人と対面で別れを告げる時間すらもいらない。
残された時間が限られているならば、現時点で自分の中で1番か2番目くらいに最も尊敬する彼と冒険し続けるこの日常を死ぬ最後のひと時まで送りたい。そう強く感じたのだった。
3.究極的に、生きる理由、生きる理念とは何か?
では、わたしはなぜ長い間、生きる理由と理念が分からなかったのだろうか。
それはやはり経験値不足によって、自分の人生に優先順位をつけるだけのデータがそろわなかったからだと思う。
そして、生きる理由、そして生きる上での信念とは、お金、名声、名誉、権力、自己実現等、この世で好ましそうなすべてを犠牲にしてもこれだけは守れたら本望だと思えるモノだ。
恐らく、究極的にわたしはこの人生を通して実現したい目標も、成し遂げたい夢も何もない。
その代わりに、死ぬ最後のひと時まで、精一杯、自分の既存の枠から外に手を伸ばして、良いことも悪いこともたくさん見て、感じて、この世界を味わい尽くしてやったと思いたい。
今回の人生では、やったね、遊びつくしたね、と自分を誇らしく感じたい。
そして、欲を言えば、自分が感じたありったけの世界中のワクワクと楽しさを、子どもに伝えていきたい。
それが実現したら、成功しなくても、野垂れ死にしても、人にばかにされても、本望だと思っている。
愛することとは、考え抜いて行動すること。
愛することってなんだろうと、昔から、節目節目に思いを巡らせ続けきた。
すこし前までは、「自分のリソースを積極的に捧げること」だと考えていて、それはお金だったり、労力だったり、時間だったり。
でも、愛がなくても一緒にダラダラいることは可能だと気付いてから、考えがまた修正された。
誰かを愛することとは、「考え抜くこと」+「行動すること」だと思う。
「考え抜くこと」とはすなわち、相手が本当に欲しているものは何か、どうしたら相手が幸せに近づくのかを徹底的に考え抜くこと。ここで、自分の主観やエゴが入って方向性を誤ると、極端な例でいうとストーカーやセクハラといった、自分が良かれと思っているけれども、相手にとっては至極迷惑な方向に舵を切ってしまう。
次に「行動すること」とは、考え抜いた結果をもとに、アクションを取ること。これは、何かを与えることかもしれないし、伝えることかもしれない。それは、幾ら考え抜いても、自分の胸に秘めておくだけであれば、愛は存在するかもしれないけど、「愛する」という行為には繋がらないからだ。
「こんなことをしたら、喜んでくれるだろうな、幸せに貢献できるかもしれないな」とどんなに自分なりに考え抜いたとしても、本当に当たるかなんて、やっぱりやってみないと分からない。だから、愛する人への行動は、通常とても勇気を必要とする。
ギョっとされたり、すべったり、拒否されたり、痛い人だと笑われたりと、様々な心理的障壁を乗り越えて、リスクを取って行動すること。
それで、ようやく「愛すること」の一連のプロセスが完成するのだ。
そして、「行動する」の中でも、もっとも難易度が高く、高度なことが「相手の人生から、自分が退場すること」だ。考え抜いた結果、相手の幸福度に自分は何も寄与することが出来ない、全くプラスの効果をもたらす見込みがない、もはやどんなアクションですらもマイナス効果の方が大きいだろうという事実に気付いてしまった場合、胸を切り刻む痛みを味わうだろう。
愛する人に何かを差し出したり、リソースを分け与えることは、相手の感謝や愛情を対価として受け取れる可能性が有るため、意外と簡単だ。でも、相手の人生から立ち去ること、これは何の対価もない上に、寂しく、辛い決断である。
だから、せめて、そんな辛い決意が出来たとき、
遠くで見守る愛を選択できる強さを持てたとき、
それは本当の意味で、誰かをしっかりと愛せたのだなと自分を誇ってよいのだと思う。
縁があれば、また交わり合える時が来ることを信じて。
利害がない人間関係は薄っぺらい。利害の発生こそが、人生の醍醐味。
かつては、利害関係がない関係こそが最上だと教えられてきた。
互いに損得のない、奪い合うことも分け合うことも要されない、シンプルで単純な関係性。
それが多くの人が思い描く美しい友情のあり姿ではないだろうか。
その定義に違和感が出てきたのは、社会人になってからだ。
居酒屋で友人と愚痴を並べながら談笑する時間より、時には対立したり、恨んだり恨まれたりしながらも、
同じ目標を掲げて走っていく上司や先輩と過ごす時間の方が、人生の肥やしになるのだと気付いた。
そして、裏切りと呼ばれるものの大半は悪意ではなく、人の弱さから生まれること。
人は弱いからこそ、倫理観や意志の強さに頼らずに、仕組化することが大事であること。
利害が発生する人間関係の中で、傷付き傷付けられていく過程で学んでいくそれらの知恵こそが、ただただ快楽だけを帯びた薄っぺらい友情より、よっぽど人生の醍醐味があるのだと感じた。
友情を超えていく関係性。
仕事仲間、恋愛、重点取引先。
それらの関係に共通する性質として、リソースの奪い合い、つまり利害関係が必ず発生することが挙げられる。その対象は主に、時間と金銭と労力、そしてコミットメントだろう。
例えば、恋愛でただただ仲良くする関係から、真剣な交際へ発展していく過程では、互いに「異性としては貴方としか関係を結びません」という一種のExclusive契約を結ぶこととなる。
ビジネスの世界で置き換えると、ただのアルバイトから、正規の雇用関係を結ぶことによって、他社で働く機会を手放すこととなる。取引先で言えば、単なる一取引先から重点取引先に移行したり、独占販売権を結ぶことによって他社との協業可能性を手放すことを意味する。
友情を脱して、その上の関係にステップアップするためには、相手のリソースや可能性を確実に奪っていくことになるため、オファーされた側から、
「この人に対して、自分はリスクを取って、人生のリソースを投資するほどの価値があるのか?」
といったシビアな目線での評価されることになる。
今まで損得勘定がなかった友情関係から脱する切り替え点として、避けて通れないポイントとして、オファーされた側から不信・不安を浴びるように受けるという洗礼がある。
感情は波動である。
よって、愛情を示せば、それが穏やかに相手に伝わるように、不安や不信といった負の感情も、波動として痛いほどに伝わってきてしまう。
今まで、真っ新なポジティブな感情しか共有しなかった関係性に、ネガティブな波が混じることは、相手がいくら隠そうとも、凄く敏感に自分まで届いてしまう。
それは、正直言って、とても辛いことだ。
一緒の仲間として、同じサイドとして頑張っていこうと、いくら愛情と信頼を渡しても、不信と不安しか返ってこない。そして、そんな期間がいつまで続くかはわからない。もしかすると、吟味されている間に、「やっぱり違った」と相手は離れていってしまうかもしれない。時にはそんな不安に、心が折れそうになる。
それでも。
自分が見込んだ相手に、みずからオファーをする以上、惚れた弱みとして、
「わたしが、必ず、あなたを幸せにする」という覚悟が必要不可欠なのだと思う。
そして、相手が覚悟をもって承認してくれた暁には、わたしは、必ずあなたを幸せにする。
あなたの夢を、価値観を大事にするし、決して悪いようにはしない。
だから、信じてついてきて欲しい。
でも言葉で示しても、不信感が消えないことは知っているから、
この覚悟を、愛情を、信頼を、時間をかけて徐々に渡していくしか出来ない。
言葉以上に、実績で、行動で、愛情と信頼を先行投資すること。
不安と不信を全力で受け止めること。
それがわたしが考えるリーダーシップである。
アフリカ系男子が、好きすぎる。
ランチ後の眠気が増していく昼盛り。
社内チャット越しに、女友達と「ねぇ、どんな人が好み?」と、
1000回はゆうに繰り返されたであろう、この永久的に生産性がない話題について、
わたし達は花を咲かせていた。
えぇっとね、仏みたいに優しい人でしょ、大人で器が大きい人、一緒に居て楽しい人…
我が身を棚に置いて、楽しい会話は続く。
その中でハタと、気付いたことがある。
近頃の、わたしの好みの異性のタイプ。
それは、まとめるとズバリ、アフリカ系男子なのではなかろうか。
(先日、年始年末にホームステイしたベナンで、誕生日プレゼントとしてもらったワンピース)
ここでいうアフリカ男子の定義とは、アフリカ大陸にてフリーで活動をしている日本人起業家、或いは個人事業主を指す。
最近、わたしは仕事の関係で一気にこの種のアフリカ男子と知り合うことが増えたのだが、皆揃いに揃って非常に素敵であるため、今日は普段お世話になっているアフリカ系男子達に感謝の気持ちを込めて、彼らの魅力について、とことん語りたいと思う。
1.風流でユーモラスなアフリカ系男子
わたしがアフリカ系男子の魅力に目覚めたのは2016年7月と、意外にも歴史が長い。
キッカケは、当時付き合っていた恋人がアフリカが大好きだったからであった。
「みくちゃん、幸せはね、心の中にあるんだよ」
大学時代に1年半ほどアフリカで過ごした彼は、そんな風流な口癖と共に、現地で見聞きした様々な思い出を語っては、いつもわたしを楽しませてくれた。当時、アフリカの場所がどこにあるかも分からなかったわたしにとって、彼の口から繰り広げられた異国の話は、異世界のごとくとても新鮮で、いつも刺激に溢れていた。
しかし、お付き合いを始めてから数か月後、わたしは彼から急に別れを告げられたのである。
「なんで…?」
涙ぐみながら見上げた彼は、こうわたしに告げた。
「みくちゃん…、ごめんね。ぼくは、近々アフリカに戻るんだ。戻らなければいけない。だから、ごめん」
わたしの記憶では、彼の生まれ故郷は長野県諏訪市であったため、アフリカに「戻る」という表現にはいささか首をかしげたが、大志を抱いた男を止めることは出来ない。涙を呑みながら、わたしは別れを受け入れた。
あれから2年弱。
Facebookを開いて、
かつて愛した彼のページを眺めると、
「近くにいる友達」機能で表示される彼の位置情報ピンは、
アフリカにも、長野にも刺さっておらず、2年間の間、常に千代田区を表示していた。
これは…、一体全体、どのようなロジックで成り立っているのだろうか。
わたしは極めてポジティブな人間であるため、
幸せは心の中にあるように、アフリカも本当は千代田区の中にあるのではないかと、
風流な彼はそんな哲学的な問いかけをわたしに残してくれたのではないかと、
そんな風に考えては自分を納得させた。
2.コミュニケーション能力が高く、話していて楽しい。
現在、仕事関係で、アフリカに単身で渡っている日本人男性とコンタクトを取る機会が多々ある。
出逢いはブログやTwitterといったSNS経由であったり、友人経由であったりと様々だが、
皆に共通することといえば、非常に親切でフレンドリー、話していて飽きないことだ。
先方がアフリカ現地にいる場合、SkypeやMessanger等でのやりとりとなることがほとんどだが、実際にお会いしたことがなくとも、話が弾む弾む。
どこの馬の骨かもわからないわたしに対して、どんな質問を投げかけても、皆嬉しそうに話を続けてくれるのは、
恐らく日本語を話せる知人が周りに少ないため、久しぶりの日本語でのコミュニケーションが新鮮であることと、
元々アフリカに単身で乗り込むほどのコミュニケーション能力が高い方々であるからという理由しか考えられないが、
わたしは極めてポジティブな人間であるため、
「たのしそうに話してくてくれる。話も合う。彼はわたしのことが好きに違いない」
と、童貞顔負けのびっくり仰天な勘違いをしそうになる。
3.ワイルドで格好いい
アフリカを実際に歩いてみると、街並み、人々の風貌とすべてが新鮮で、
日本から来た自分としては、RPGのゲームの世界を渡り歩いている気持ちになる。
そして、その横にアフリカ系男子がいれば、気分はモンハンの主人公そのもの。
さぁ、大サバンナへ一緒に狩りに出かけようか。
(ベナンにある水上都市、ガンビエ)
そこで、アフリカ系男子が、摩訶不思議な現地語を流暢に話しながら、ジュース1本を買ってくれた。
ローカルアフリカ人の大衆をかき分けてタクシーを捕まえてくれた。
ボディーランゲージを交えたフランス語で、値段交渉をしてくれた。
わたしは極めてポジティブな人間であるため、
冷静に考えると、生きる上での基本動作でかないアフリカ系男子のこれらの行動も、
あたかも、白馬の騎士が自分を守ってくれている様に見えるといった錯覚に陥りそうになるのだ。
4.アフリカ系男子との恋の障壁
さて、ここまで淡々とアフリカ系男子の魅力について述べてきたつもりではあるが、
突如今、わたし自身の思い込みの強さと勘違い指数の高さを露呈しているに他ならないのではないかという危機感に陥っている。
大丈夫だろうか。
しかし、ここまで筆を進めてしまったのだ。書き切るしかない。
読者の皆さんにはきっとアフリカ系男子の魅力が伝わったはずであるため、
最後に、そんな魅力たっぷりの彼らとの恋愛事情における唯一の、そして最大の障壁に関して言及しなければならない。
アフリカ系男子との恋愛における障壁…
それは、アフリカ系男子がアフリカに在住していることである。
え?
当たり前だって?
そう、元々自明なことであり、アフリカ系男子がアフリカに住んでいるからアフリカ系男子であり、それがゆえに魅力が倍増しているのに、その障壁がアフリカそのものだなんて、もう何がなんだかわけがわからない。早口言葉みたいに、書いているわたしすらも、自分が何を言っているのか、意味が分からなくなってしまった。
ひとつだけ、確信を持って言えるのは、
万が一、わたしが勘違いに勘違いを重ねて、アフリカ系男子に恋をしてしまったとしよう。
そうすると、風流でユーモラスでコミュニケーション能力が高くてワイルドで格好いい彼らは、わたしにこう告げるだろう。
「みくちゃん…。気持ちは嬉しいよ。ありがとう。でも、みくちゃんは日本にいる。俺はアフリカにいる。遠すぎるだろう?」
しかし、わたしは極めてポジティブな人間であるため、
少し考えた後にこう答えるだろう。
「大丈夫だよ!だって、アフリカって千代田区の中にあるじゃない」
↓はじめましての方へ
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広告活動とは、商品に命を吹き込む行為である
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(散文小説) 由香子、30歳。迷えるアラサーの日々。
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同期が、国内線、海外線、長期便…と、どんどん信頼を積み重ね、仕事の難易度を高めていく中、基本的なことで躓いていた由香子は、いつまで経っても、東京ー福岡便を任されるのが関の山だった。最初は着くたびに毎回楽しみにしていた豚骨ラーメンも、自分の惨めさ、不甲斐なさを彷彿させるようで、匂いを嗅ぐだけで吐き気がする程、大っ嫌いになった。
「なんでみんなに出来ることが、わたしにはできないのだろう…」
やり場のない焦燥感だけがどんどん膨らみ、
抱いていた自信と希望が音を立てて萎んでいく。
当初想像していた華やかな世界はどんどん遠ざかる。
ストレスと焦燥感からくる仕事のミスの多さが原因で、仕事の評価はどんどん下がる。
そして3年経ったとき、遂に由香子は地上職へ転置替えという異例の人事発令が出た。これが、自らのパフォーマンスの悪さが故であるということは自明であった。それは由香子にとって、言葉に出来ない程、悔しく苦しい経験となった。
それでも、CAで飛び回っていた時代と比べて、時間に余裕が出来たんだ。もう一度頑張ろうと、プラス思考で気を取り直したのもむなしく、事務仕事が増えたことによって、由香子にとって唯一楽しかったお客さんとの会話、新しい世界を垣間見る瞬間も全て一掃され、「安定した、でもつまらない仕事、苦手な仕事」一色となった。
完全に負のスパイラルに陥った。
精神が蝕まれていく中、それでも、仕事を続けてきた理由は、小さい頃からCAという職業に抱いていた強烈な憧れ、ANAというブランドの響きをこよなく愛していた由香子のプライドがあったからに他ならない。
そして、CAとして叶えたかった夢、例えばビジネスクラスやファーストクラスで華麗にサーブし、有名人と友達になるといったミーハーなことから、中南米、ヨーロッパを飛び回りたいといった幼き日の願望が、由香子を引き留めた。
人は、夢をあきらめるなという。
仕事から逃げるなという。
ひとつの職場でダメで逃げてしまった人は、次でも上手くいかないに違いないだという。
だったら、何度やってもだめだったわたしはどうすればよいのだろうか、と由香子は途方に暮れた。
そんな由香子の強みは、行動力と機転の速さであった。
そして、既存のセオリーに囚われない道筋を立てるといった戦略性、道筋を立てた後に大胆に仕事を他人に振り分けられるところも長所と言えるだろう。良くも悪くも、それは、皆と同じ王道では勝負できず、且つ自身の緻密さや丁寧さといった処理能力が低いが故に編み出した、彼女なりの生存戦略であった。
4年前に彼女が恋人と副業で始めた越境ECは大成功を収めた。なんてことない、恋人が大の日本酒好きであったため、彼がピックアップした日本酒に説明文を付けて中国のAlibabaのECサイトで売り始めたら、たちまち大ヒットしたのである。
成功の背景には彼女自身のトレンドを追う力、先見性などもあったが、時流の良さや運の要素も多い。そして、スモールビジネスをひとつ成功させてくらいでは、到底事業者として一生食っていく能力には匹敵しないことは、誰よりも由香子自身が知っていた。
「これから、わたしはどうやって生きていけばいいのだろう?
同期がチーフパーサ等一歩ずつ着実にキャリアを積み重ねている。また、中には早々と結婚して家庭に入り、育児に励んでいえる人もいれば、CAのスキルは汎用性がないから、と華やかなタイトルを手放し、他業界でバリバリ専門職としてのスキルを積み上げている友人もいる。
方向性は違えど、皆、自分の人生に腹をくくって、覚悟を決めて、前に進んでいる。
それに対して、由香子はいつまで経っても、叶えられなかった夢に思いを馳せ、一度手にした華やかなタイトルに自身のアイデンティティを重ね、結果同じところで立ちどまっている。
彼女が苦手としている、粛々と物事を丁寧に緻密に推進していく能力は、大企業、否、日本における組織であればどこでも求められるスキルであることは、由香子も薄々と気付いていた。つまり、組織人としてソツなくこなすということが苦手である以上、それはANAを離れても、転職しても同じことが繰り返されるだろうということも、由香子は知っていた。
そう。知っていたからこそ、踏み出せなかった。飛び出せなかった。
そんな由香子でも、越境ECや趣味である料理では、細部の細部まで拘りぬいていたので、丁寧に物事を進めることが全くできないというわけではない。ただ、その場合は、売上や食べてくれた人の表情、感想がすぐに分かるといった分かりやすいニンジンが目の前にぶら下がっているという、非常に限定された状況下である必要がある。
そんな自分の面倒くささ、扱いづらさに由香子は苦笑した。
最近、由香子を自分の会社においでよ、と誘ってくれた人がいた。「由香子ちゃんの空気が読めないところが、凄くいい」と、彼は言った。本当にうれしかった。こんな自分でも必要としてくれる、活躍できそうだからうちに来てほしいと言ってくれる人がいるなんて。言葉にできないくらい、感激した。
同時に、由香子は不安になった。
30歳になったからには、もう失敗はできない。
大学時代のバイトのように、面白そうだからと飛び込んで、でも違ったからやーめた、なんて無責任なこともできない。
業界を変えて、自分のタイトルも捨てて、そして自分に期待して手を差し伸べてくれた人に応えるためにも、
やるからには、今回はぜったいにぜったいに成功させなければいけない。
ふと顔を挙げると、飛行機が一機、そしてまた一機秋の空に向かっていくのに、
思いが強くなれなばるほど、わたしははじめの一歩が出なくなる。飛びだてなくなる…。
30歳の秋。
遠くで高々と飛びだっていく飛行機の手前で、ノロノロと低空飛行しているツバメに、由香子は自分の姿を重ねたのだった。
今まで誰にも話せなかった、わたしの理想のデートプラン
「未来ちゃんは、どんな食べ物が好き?」
「……カルボナーラです。」
金曜午後20時、代官山にある予約が取りずらいイタリアンバル。
頭を傾けて少し考えた後、周りの雑音に掻き消されない程度の控えめな声で、わたしは答えた。
ははは、俺も好きだよ、よく家で作るし、と彼はワイングラスを傾ける。
まんまるなグラスの中央に、うす紫色の弧が描かれた。
上司、先輩、後輩、友人、デート相手など。
生まれてから28年間、さまざまな場面で、いろいろな相手から幾度なく尋ねられたこの質問に、わたしは未だにうまく答えることが出来ない。
質素な中国家庭で生まれ育ったわたしは、幼少期ほぼ100%中華料理を食べて育った影響もあり、
洋食に関しては、実は、今でもとても疎い。
数か月前に、表参道のオシャレなオープンテラスで女友達と食べた麵状のSomethingがとてもおいしく、それがカルボナーラという名前だった気がする。
だけど、
カルボナーラが果たして、一体どのような形状で、どのような味だったのか。
正直言って、全く記憶にない。
(嘘は言っていないんだけど…)
わたしは苦笑した。
万が一、カルボナーラと刀削麺との違いでも聞かれた際にはわたしはパニックに陥り、
顔面蒼白となって泡を吹きながら、椅子から崩れ落ちるであろう。
そんなわたしが、目を閉じれば、瞼の裏に焼き付くくらい、強烈に好きな食べ物がある。
それは、馬肉である。
鶏でも豚でも牛でもない、馬肉がわたしの最愛であるのだ。
「じゃあ、未来ちゃんは、どんなデートが好きなの?」
彼は、質問を続ける。
わたしは、再び、頭を抱える。
実は、わたしはまだ実現させていない、理想のデートプランがある。
今日の今まで、
誰にも言ったことがないが、勇気を振り絞って、ここで告白したいと思う。
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まず、朝早く、日が昇って間のない時間に起床する。
そして、眠い目をこすりながら、スターバックスで眠気覚ましのコーヒーを購入した後、
海岸に向かって車を走らせる。
ひとつめの目的地、九十九里浜での早朝乗馬プログラムに参加するために。
乗馬前に、軽やかなさざなみに耳を傾けながら、手を取り合って海岸を歩いてみてもいいだろう。
肌寒い海風が、きっと二人の距離を縮めるに違いない。
お互い乗馬の初心者であるため、不慣れな場面や、格好悪い場面もたくさんあるだろう。
もしかしたら、馬から落っこっちゃうことだって、あるかもしれない。
そういう時は、くすっと笑った後に、そっと手を差し伸べてほしい。
「ばか、なーにやってんだよ」と馬から降りずに、上から一瞥されるのも、そんな亭主関白っぽさも、非日常のシチュエーションではいつとなく格好良く映るだろう。
吊り橋効果ならぬ、落馬効果で二人の心は一気に縮まるのだ。
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そして、気持ち良い汗を流した昼過ぎ、わたしたちは再び車を走らせ都内に向かう。
次の目的地。
渋谷WINS。
そこは、純粋に競馬を愛し、競馬に命を懸け、競馬に家庭と財産を捧げた、熱きガチ勢である紳士たちの戦いの場であり、パットク最前列で「○○ちゃーん♡」と叫ぶウマジョはいない。
わたしは、回りの常連さんを見習って、赤い鉛筆を耳に甲に挟み、
新聞紙を広げて、画面に映る悠々とした馬達の激走を眺めるだろう。
身体を動かした後は、そう、頭を動かす番だ。
華僑らしく、幼いころから教育に厳しい両親に、文武両道の精神を叩き込まれたわたしの真面目な性分が、またもや発揮されてしまったようだ。
「どーしよっかなぁ♡どれを買えばいいかなぁ?」
甘えた声でデート相手に寄りかかりながら、わたしは、どれに賭けるか彼に真剣に相談したい。
そして、確率論を用いた熟考の後、手持ち予算で綿密なポートフォリオを組み、出来うる限りのリスク回避を図りながらアップサイドを狙いに行きたい。
時には、周りにいる紳士たちに白いで見られたり、舌打ちされたり、
「タバコ1個とスルメを交換してくれ!」と絡まれることもあるかもしれない。
が、それもこれもご愛嬌だ。
そして、幾層なる情報収集の後、
「このレースは、この馬で間違いない!」
と、自信をもって賭けたレース程、目も当てられない程ズタボロに負け、金券だと思っていた馬券をただのゴミクズに変えていく様子を、唖然と眺めながら、競馬初心者のわたしと彼は、気持ちがいいほど、持ち金を跡形もなく、すべて無に溶かすだろう。
そこで、わたしたちは人生の儚さ、栄枯必衰の理を学ぶのである。
「大丈夫。〇〇くんの予想が外れていても、わたしを選んでくれた〇〇くんの先見の眼は間違いないよ♡」
こうして、自分を信じられなくなった…と涙ぐむ彼に対して、わたしは笑顔で、無邪気に慰めるであろう。
その言葉によって、彼がより、自分の選別眼に対する疑いを強くすることも知らずに…。
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光陰矢の如し。
時が過ぎるのは早いもので、こんな風に楽しんでいる内に、すっかり日は暮れてしまった。
気付けば、空は真っ黒になり、意気揚々と威勢を張っていた画面の中の馬たちも、疲れた足取りで馬舎へ帰っていく。
そんな光景を見守りながら、わたしたちもディナーに向かう時間になったと気付く。
次の行き先、それは…、
最後の目的地。一日の締めくくりは、馬肉バル以外、ありえない。
そこで、我々は、走馬燈のように楽しかった一日を思い出すであろう。
ドキドキしながら触れた馬のタテガミは思ったよりも固くなめらかで、
固い皮膚の下にある体温のぬくもりや心臓の鼓動に心を躍らせた朝。
バランスを取ることに苦労しながら、徐々にペースを掴めるようになり、最後には相棒のような、古くからの友人のような以心伝心する感覚を味わえた乗馬体験。
悶々とした空気感の中、男女老若、皆でひとつとなって、画面の中の悠々とした馬のレースに釘付けになったお昼。
ランチ後の眠気を一瞬で吹っ飛ばした、馬とジョッキたちの息をのむような真剣レース。
握りしめた馬券は汗でクシャクシャになってしまった。
そうやって、わたしたちを、一日中楽しませてくれた、馬々たちが、今、目の前のお皿に鎮座しているのだ。
その生命の儚さ。尊さ。
そう、わたしの理想のデートのゴール。それは…、
涙を流しながら、馬肉を喰らいたい。
みっともないと言われようが、
馬面のような泣き顔だと言われようが、
わたしは真珠のような大粒の涙を滴らせながら、
目の前の皿に真剣に対峙していくことだろう…
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「…で、未来ちゃんは、どんなデートが好きなんだっけ?」
沈黙を破るように、彼が質問を繰り返した。
ハッと、わたしは顔をあげた。
「そうですね…理想のデートプランは…」
少し考えたあとに、言葉をつづけた。
「スポーツをして、そのあとにスポーツ鑑賞をすることです。一日の最後は、焼肉を食べに行きたいですね!」
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