究極的に、恋に落ちるキッカケは「顔・身体・匂い」以外あり得ない。
ことのきっかけは、あるイケメンに「未来は、俺のどこが好き?」と聞かれたことだ。
こじらせたイケメンと美女あるあるのこの質問。
言外に、
「外見以外で、わたしのどこが好き?わたしの内面の良さ、ちゃんと見てる?わかってる??」
という意味がこもっている。わたしの良さは外見だけじゃないのよ。内面の良さを見つけて!気付いて!そして、褒めて!臭がプンプン漂っている。この意図をしっかりとキャッチ出来れば、
「好奇心旺盛で頑張り屋さんなところ!」、「優しいところ」、「ユニークで感性豊かなところ」と、いった模範解答に簡単に辿り着くことが出来る。ようは、内面に関することなら何でもよいのだ。逆に、地雷は、美人、イケメン、目が綺麗、セクシー、スタイルが良い…といった類の答えである。
因みに、わたしは当時、しっかりとこれを認識していた。が、認識はしていたものの、どこか嘘をつきたくない自我が勝ってしまったのである。
言葉を濁しても、話題を逸らそうとしても、「どうして好きになってくれたの?」、「どこを好きになったの?」と何回も何回も聞かれ、遂に、「……カッコいいところ?」と、正直な心の声が喉から漏れてしまった。
次の瞬間、彼は失望したように目線を落とした。
「結局みくも、自分のそういった浅いところしか見ていなかったんだ…」と言いたそうにため息をつき、わたしの恋はあっけなく幕を閉じたのである。
↑引き続き。昨年佐渡島へ旅に出た時に、ヒッチハイクで乗せてくれた現地の方々。人々のやさしさに触れた旅でした。
「それなら、俺よりカッコいい人なんていっぱいいるじゃん。顔が整っている人だって。背が高い人だって。」
彼は言葉を続ける。
違う、そうじゃない…。
いろいろ言いたいことはあったけれども、胸に言葉が詰まり、うまく説明できなかった。
あの時の悔しく切ない気持ちを思い出しながら、キーボードを叩いている。
まず、持論として、わたしは究極的に恋に落ちるキッカケは、顔・身体・匂い以外あり得ないと思っている。
もちろん、優しいとか、その人独自の個性や良さ、価値観に共感出来るとか、そういった要素はとても重要だ。そのような「いいなぁ」、「素敵だなぁ」といった気持ちの重なりによって、相手に対するプラスの感情がどんどん、蓄積される。
しかし、それで恋に落ちるのかというと、全く別問題である。
恋はポイント制ではない。
通常時ではかなりマイナス評価の相手であったとしても、何かのきっかけによってすごくドキッとさせられる場面に出くわせば、一気に恋に落ちることがある。逆に、どんなに優しくても、人間的に尊敬できても、いつまで経っても恋に落ちることが出来ないことも往々にしてあるのだ。
よって、恋はもっと生物的なものに紐づいていて、それが、顔、身体、匂いなのだと思う。
それは、イケメン、美女である必要がある、という意味では全くない。
くしゃっとした笑顔や、不意にちらつく傷ついた表情。柔らかそうな体つきだったり、強がる言葉の裏に隠された、少し自信がない目つきだったり。ふんわり漂う優しい香りや、大好きな映画について、意気揚々と語る横顔。
このような、その人らしい素の一面を不意に発見した時、恋に落ちる、といった瞬間に出逢うのだ。
それに、そもそも内面の長所ほど、頼りないものはない。
どんなに頑張り屋さんの人だって、さぼりたくなる時もある。
好奇心旺盛でアクティブだといっても、部屋の片隅に引きこもりたくなる時もある。
余裕がなくなって、人に当たってしまったり、
誰かのやさしさを受け取れずに、傷つけてしまうこともあるだろう。
だからこそ、わたしは大切な人にこそ「あなたの頑張り屋さんなところが好き」といった言葉を、軽々しくかけないようにしている。だってそれは、裏を返せば、そういうあなたじゃなければ好きじゃないという呪縛になるから。
例え頑張らなくても、力を抜いても、気まぐれでワガママで、人の気も知らずに面倒くさい議論を吹っかけてきたって。
あなたがあなたらしく居てくれるだけで、いたずらっ子のように笑ってくれるだけで、わたしの目にはいつでもかっこよく映るんだよって、一緒にいて幸せになれるんだよって。そう伝えたくて、でも言葉足らずで全く伝えることが出来なかった、そんなもどかしい思いが詰まった、若き日の思い出でした。