今まで誰にも話せなかった、わたしの理想のデートプラン
「未来ちゃんは、どんな食べ物が好き?」
「……カルボナーラです。」
金曜午後20時、代官山にある予約が取りずらいイタリアンバル。
頭を傾けて少し考えた後、周りの雑音に掻き消されない程度の控えめな声で、わたしは答えた。
ははは、俺も好きだよ、よく家で作るし、と彼はワイングラスを傾ける。
まんまるなグラスの中央に、うす紫色の弧が描かれた。
上司、先輩、後輩、友人、デート相手など。
生まれてから28年間、さまざまな場面で、いろいろな相手から幾度なく尋ねられたこの質問に、わたしは未だにうまく答えることが出来ない。
質素な中国家庭で生まれ育ったわたしは、幼少期ほぼ100%中華料理を食べて育った影響もあり、
洋食に関しては、実は、今でもとても疎い。
数か月前に、表参道のオシャレなオープンテラスで女友達と食べた麵状のSomethingがとてもおいしく、それがカルボナーラという名前だった気がする。
だけど、
カルボナーラが果たして、一体どのような形状で、どのような味だったのか。
正直言って、全く記憶にない。
(嘘は言っていないんだけど…)
わたしは苦笑した。
万が一、カルボナーラと刀削麺との違いでも聞かれた際にはわたしはパニックに陥り、
顔面蒼白となって泡を吹きながら、椅子から崩れ落ちるであろう。
そんなわたしが、目を閉じれば、瞼の裏に焼き付くくらい、強烈に好きな食べ物がある。
それは、馬肉である。
鶏でも豚でも牛でもない、馬肉がわたしの最愛であるのだ。
「じゃあ、未来ちゃんは、どんなデートが好きなの?」
彼は、質問を続ける。
わたしは、再び、頭を抱える。
実は、わたしはまだ実現させていない、理想のデートプランがある。
今日の今まで、
誰にも言ったことがないが、勇気を振り絞って、ここで告白したいと思う。
------------------------------------
まず、朝早く、日が昇って間のない時間に起床する。
そして、眠い目をこすりながら、スターバックスで眠気覚ましのコーヒーを購入した後、
海岸に向かって車を走らせる。
ひとつめの目的地、九十九里浜での早朝乗馬プログラムに参加するために。
乗馬前に、軽やかなさざなみに耳を傾けながら、手を取り合って海岸を歩いてみてもいいだろう。
肌寒い海風が、きっと二人の距離を縮めるに違いない。
お互い乗馬の初心者であるため、不慣れな場面や、格好悪い場面もたくさんあるだろう。
もしかしたら、馬から落っこっちゃうことだって、あるかもしれない。
そういう時は、くすっと笑った後に、そっと手を差し伸べてほしい。
「ばか、なーにやってんだよ」と馬から降りずに、上から一瞥されるのも、そんな亭主関白っぽさも、非日常のシチュエーションではいつとなく格好良く映るだろう。
吊り橋効果ならぬ、落馬効果で二人の心は一気に縮まるのだ。
------------------------------------
そして、気持ち良い汗を流した昼過ぎ、わたしたちは再び車を走らせ都内に向かう。
次の目的地。
渋谷WINS。
そこは、純粋に競馬を愛し、競馬に命を懸け、競馬に家庭と財産を捧げた、熱きガチ勢である紳士たちの戦いの場であり、パットク最前列で「○○ちゃーん♡」と叫ぶウマジョはいない。
わたしは、回りの常連さんを見習って、赤い鉛筆を耳に甲に挟み、
新聞紙を広げて、画面に映る悠々とした馬達の激走を眺めるだろう。
身体を動かした後は、そう、頭を動かす番だ。
華僑らしく、幼いころから教育に厳しい両親に、文武両道の精神を叩き込まれたわたしの真面目な性分が、またもや発揮されてしまったようだ。
「どーしよっかなぁ♡どれを買えばいいかなぁ?」
甘えた声でデート相手に寄りかかりながら、わたしは、どれに賭けるか彼に真剣に相談したい。
そして、確率論を用いた熟考の後、手持ち予算で綿密なポートフォリオを組み、出来うる限りのリスク回避を図りながらアップサイドを狙いに行きたい。
時には、周りにいる紳士たちに白いで見られたり、舌打ちされたり、
「タバコ1個とスルメを交換してくれ!」と絡まれることもあるかもしれない。
が、それもこれもご愛嬌だ。
そして、幾層なる情報収集の後、
「このレースは、この馬で間違いない!」
と、自信をもって賭けたレース程、目も当てられない程ズタボロに負け、金券だと思っていた馬券をただのゴミクズに変えていく様子を、唖然と眺めながら、競馬初心者のわたしと彼は、気持ちがいいほど、持ち金を跡形もなく、すべて無に溶かすだろう。
そこで、わたしたちは人生の儚さ、栄枯必衰の理を学ぶのである。
「大丈夫。〇〇くんの予想が外れていても、わたしを選んでくれた〇〇くんの先見の眼は間違いないよ♡」
こうして、自分を信じられなくなった…と涙ぐむ彼に対して、わたしは笑顔で、無邪気に慰めるであろう。
その言葉によって、彼がより、自分の選別眼に対する疑いを強くすることも知らずに…。
-----------------------------
光陰矢の如し。
時が過ぎるのは早いもので、こんな風に楽しんでいる内に、すっかり日は暮れてしまった。
気付けば、空は真っ黒になり、意気揚々と威勢を張っていた画面の中の馬たちも、疲れた足取りで馬舎へ帰っていく。
そんな光景を見守りながら、わたしたちもディナーに向かう時間になったと気付く。
次の行き先、それは…、
最後の目的地。一日の締めくくりは、馬肉バル以外、ありえない。
そこで、我々は、走馬燈のように楽しかった一日を思い出すであろう。
ドキドキしながら触れた馬のタテガミは思ったよりも固くなめらかで、
固い皮膚の下にある体温のぬくもりや心臓の鼓動に心を躍らせた朝。
バランスを取ることに苦労しながら、徐々にペースを掴めるようになり、最後には相棒のような、古くからの友人のような以心伝心する感覚を味わえた乗馬体験。
悶々とした空気感の中、男女老若、皆でひとつとなって、画面の中の悠々とした馬のレースに釘付けになったお昼。
ランチ後の眠気を一瞬で吹っ飛ばした、馬とジョッキたちの息をのむような真剣レース。
握りしめた馬券は汗でクシャクシャになってしまった。
そうやって、わたしたちを、一日中楽しませてくれた、馬々たちが、今、目の前のお皿に鎮座しているのだ。
その生命の儚さ。尊さ。
そう、わたしの理想のデートのゴール。それは…、
涙を流しながら、馬肉を喰らいたい。
みっともないと言われようが、
馬面のような泣き顔だと言われようが、
わたしは真珠のような大粒の涙を滴らせながら、
目の前の皿に真剣に対峙していくことだろう…
-----------------------------
「…で、未来ちゃんは、どんなデートが好きなんだっけ?」
沈黙を破るように、彼が質問を繰り返した。
ハッと、わたしは顔をあげた。
「そうですね…理想のデートプランは…」
少し考えたあとに、言葉をつづけた。
「スポーツをして、そのあとにスポーツ鑑賞をすることです。一日の最後は、焼肉を食べに行きたいですね!」
↓はじめましての方へ