利害がない人間関係は薄っぺらい。利害の発生こそが、人生の醍醐味。
かつては、利害関係がない関係こそが最上だと教えられてきた。
互いに損得のない、奪い合うことも分け合うことも要されない、シンプルで単純な関係性。
それが多くの人が思い描く美しい友情のあり姿ではないだろうか。
その定義に違和感が出てきたのは、社会人になってからだ。
居酒屋で友人と愚痴を並べながら談笑する時間より、時には対立したり、恨んだり恨まれたりしながらも、
同じ目標を掲げて走っていく上司や先輩と過ごす時間の方が、人生の肥やしになるのだと気付いた。
そして、裏切りと呼ばれるものの大半は悪意ではなく、人の弱さから生まれること。
人は弱いからこそ、倫理観や意志の強さに頼らずに、仕組化することが大事であること。
利害が発生する人間関係の中で、傷付き傷付けられていく過程で学んでいくそれらの知恵こそが、ただただ快楽だけを帯びた薄っぺらい友情より、よっぽど人生の醍醐味があるのだと感じた。
友情を超えていく関係性。
仕事仲間、恋愛、重点取引先。
それらの関係に共通する性質として、リソースの奪い合い、つまり利害関係が必ず発生することが挙げられる。その対象は主に、時間と金銭と労力、そしてコミットメントだろう。
例えば、恋愛でただただ仲良くする関係から、真剣な交際へ発展していく過程では、互いに「異性としては貴方としか関係を結びません」という一種のExclusive契約を結ぶこととなる。
ビジネスの世界で置き換えると、ただのアルバイトから、正規の雇用関係を結ぶことによって、他社で働く機会を手放すこととなる。取引先で言えば、単なる一取引先から重点取引先に移行したり、独占販売権を結ぶことによって他社との協業可能性を手放すことを意味する。
友情を脱して、その上の関係にステップアップするためには、相手のリソースや可能性を確実に奪っていくことになるため、オファーされた側から、
「この人に対して、自分はリスクを取って、人生のリソースを投資するほどの価値があるのか?」
といったシビアな目線での評価されることになる。
今まで損得勘定がなかった友情関係から脱する切り替え点として、避けて通れないポイントとして、オファーされた側から不信・不安を浴びるように受けるという洗礼がある。
感情は波動である。
よって、愛情を示せば、それが穏やかに相手に伝わるように、不安や不信といった負の感情も、波動として痛いほどに伝わってきてしまう。
今まで、真っ新なポジティブな感情しか共有しなかった関係性に、ネガティブな波が混じることは、相手がいくら隠そうとも、凄く敏感に自分まで届いてしまう。
それは、正直言って、とても辛いことだ。
一緒の仲間として、同じサイドとして頑張っていこうと、いくら愛情と信頼を渡しても、不信と不安しか返ってこない。そして、そんな期間がいつまで続くかはわからない。もしかすると、吟味されている間に、「やっぱり違った」と相手は離れていってしまうかもしれない。時にはそんな不安に、心が折れそうになる。
それでも。
自分が見込んだ相手に、みずからオファーをする以上、惚れた弱みとして、
「わたしが、必ず、あなたを幸せにする」という覚悟が必要不可欠なのだと思う。
そして、相手が覚悟をもって承認してくれた暁には、わたしは、必ずあなたを幸せにする。
あなたの夢を、価値観を大事にするし、決して悪いようにはしない。
だから、信じてついてきて欲しい。
でも言葉で示しても、不信感が消えないことは知っているから、
この覚悟を、愛情を、信頼を、時間をかけて徐々に渡していくしか出来ない。
言葉以上に、実績で、行動で、愛情と信頼を先行投資すること。
不安と不信を全力で受け止めること。
それがわたしが考えるリーダーシップである。