未来日記

未来日記

恋に、仕事に、日々の日常について語る日記です。日常に、ワクワクという名の希望を届けていきたい。

自分の生きる理由と信念を悟った夜

 

「お前の人生って、ぜんぶ付和雷同だよな。」

 

最近こんな夢を抱いて、目指しているの!と、意気揚々に語る私に対して、彼は冷たく言い放った。

 

「いま語ったやりたいこと、全部相手ありきじゃん。なにか自分の腹の底から湧き上がる思いとかないわけ?」

 

なかなか厳しいことを言うな、と思った。

夢や目標を語ると、99%の人は、純粋に面白そうだね、応援するよと笑顔を並べてくれる。たが、目の前にいる、新卒で入った会社のこの先輩は、なかなかそれを許さない。

 

よくよく考えたら、彼は3年前にうちの会社を離れている起業家だから、もう先輩ですらないのに。なんて面倒くさい人なんだろう。

 

「何でそんなこと言うの、じゃあどうすればいいんだよ」、とイラつこうが、泣きわめこうが、ガン無視した上で、彼は自分が納得するまで本質的な問いをドストレートに心に投げてくる。

 

「そんな俺を説得したいがための言葉を並べても、それは腹からの言葉じゃない。」

 

「そもそも俺と知り合ってからのこの3年間でお前は、何をしてきたんだよ。」

 

「あれこれ手を出しているのに、なんで信念がまだ見えていないんだよ。」

 

「そもそも、お前の生きている意味はなんだよ。なんで生きてるんだよ」

 

今抱いているビジネスプランを具現化するための実務的なアドバイスをもらいに来たのに。各論に入る前の、本質的なそもそも論の部分から鋭い切込みを入れてくるから、話がややこしくなる。

 

華金で色めく丸の内のオシャレなレストランの中で、ただ一組だけ異様な空気間を漂わせながら、3時間がん詰めされて泣き散らかしているテーブルで、わたしは遂に悟ったのである。

 

1.わたしが生きている意味は、「内なる世界を拡張させること」

 1.1 ディズニーランドでの原体験

一番最初の原体験としては20年前、6歳の時にはじめてディズニーランドに入ったときの思い出。

 

20年前の当時、日本と中国には大きな経済格差があった。わたしが住んでいた蘇州の下町では恐らく100人に1人も海外に行ったことがなかったし、行けると夢にも思えなかった、そんな時代だった。

 

「日本とアメリカにはこんな場所があってね」と、社会科の先生は幼稚園でわたしたちに白黒のミッキーとでシンデレラ城がプリントアウトされた紙芝居を見せた。

 

鮮明に覚えているのは、おともだちは誰も行きたいなんて言わなかったということ。

日本に住む子どもたちはずるいとも愚痴をこぼす園児すらいなかった。

 

だって、別世界の話なんだもん。

自分には全く関係ない、SFの世界。

 

それが、幸運にもわたしは両親に連れられて来日し、そんな行けるはずがないと思い込んでいたディズニーランドに、実際に足を踏み入れることが出来たのである。

 

6歳のその時の感動を、わたしは今でも鮮明に覚えている。

そして、その時に決めたことがある。

別世界だろうが、異次元だろうが、この世に実在する場所であれば、

どこまでもこの足で訪れてみよう。この目に焼き付けてこよう、と。

 

 

1.2 旅をすれば世界が横に広がる。新しい価値観に出逢えば、世界が縦に広がる。

そんな経緯もあり、15歳くらいまでのわたしの夢は世界中を旅すること、出来れば宇宙にも行ってみたいから宇宙飛行士になることの1点だった。

 

そんな中で、ある日高校の図書館で、わたしを震撼させた本に出逢った。

 

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風と共に去りぬ、である。

 

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その中で、主人公のスカーレット・オハラに心を打たれたのだが、

 

彼女一言でいえば、「特段めちゃくちゃ美人ではないが、自己主張が強く、感情の起伏が激しい、そして目的のためなら手段も択ばずに妹の婚約者をも奪い取る肉食系で、打算的かつ自己中な、淑女とはかけ離れた女」である。

 

今までの人生を通して、わたしは女性はかわいらしく、おしとやかに、優しく善良でいなければモテないと思っていた。少なくともそうふるまわなければ、他人から受け入れられるはずがないと思った。

 

だから、こんな主人公なんて有りなのかよと、冷や汗をかきながら、読了した後にYahoo!で「風と共に去りぬ 感想」「風と共に去りぬ スカーレット 性格」と、ぐぐりまくった。

 

すると、彼女は世代を経て、世界中にたくさんのファンを抱え、今でも多くの人を魅了し続けていることを知ったのである。自己中な肉食系ビッチなのに・・・!

 

スカーレットに出逢えたことは、

おしとやかに、善良になり切れない自分に悩んでいた17歳の自分にとって、

本当に世界が変わるくらい震撼した出来事であった。

 

これを通して、わたしは旅をするという手段以外にも、

何かを通して新しい価値観、視野、世界観に出逢うことによって、

自分自身の世界をまるっきり、変えることが出来るのだと知った。

 

そして、こんな風に、自分の内なる世界を横に、そして縦にどんどん広げていきたいと強く思った。

 

2.理念は「尊敬する人と一緒に、冒険し続ける人生を送ること」

2.1その人のことを好きかどうかは、重要じゃない

話が戻るが、先輩に理念をたずねられたとき、わたしはとっさに「好きな人とずっと一緒にいること」と答えた。

 

実際に、本当はこれが叶えば専業主婦でもいいと思っているけど、大好きな夫と結婚したって24時間365日一緒にいられるわけじゃないから、それならば好きな人をたくさん作って、彼らと一緒に仕事ができるような環境を作ることが自分の幸せかな、と考えていた。

 

しかし、これは正しくない。

 

まず、「好きな人」の定義とは、その人がたとえ困ったら、損得考えずに出来る限りのことをしてあげたいと思える人、つまり自分の中に静かな愛情が流れている対象人物を指す。この文脈で言えば、あてはまる友人知人は結構いる。

 

しかし、わたしは好きなだけの人とは、長時間一緒にいることが出来ない性分であることに気付いた。

 

だから、例えばものすごく大好きな女友達も、尊敬の気持ちがなければ、どうしても一緒に長い時間は過ごせない。大好きな彼氏も、尊敬の念が薄くなった暁には、デートしたい欲が途端に薄れる。逆に、いけ好かなくても、めちゃくちゃ尊敬している人であったら、老若男女飛んで会いに行きたい。積極的に一緒に時間を過ごしたい。

 

尊敬の定義は、「わたしに持っていない何かを持っていて、その何かに自分が共感し、強烈に惹かれている状態」である。なぜならば、そのマインドが、視点が、世界観が、わたしの世界を広げてワクワク感とドキドキ感を運んでくれるからだろう。

 

そして、わたしは冒険が好きだ。

冒険の定義とは、「ワクワク x ドキドキ x 不確実性」の3要素そろった行為であり、それが途上国だったり、投資だったり、ビジネスだったりする。わたしが国内旅行や、リゾート、水族館といったデート先に全く惹かれないのも、この冒険度指数が低いから。

 

だから、旅行に出かけるならば、途上国や全く語学が通じないところがいいし、デートするならば、下町の超大衆居酒屋や登山の方がワクワクする。なんなら一緒に仮想通貨のマイナーコインを買い集めて、ハラハラするのも楽しそう。笑

 

 

2.2人生の中のパーフェクトに幸せだった瞬間

いままでの人生の中で3回、「今この瞬間にもう死んでもいいや」と思えるほど幸せの絶頂を感じたことがある。

 

1回目は15歳のころ、Justineという友人と一緒に中国の地元の屋台を回っていた時。中国語がほとんど話せなかった自分にとって、百戦錬磨な地元民の大人たちと値段交渉をしなければ物が買えない市場で、大好きなJustineと回ったあの時間は本当にドキドキの連続で、忘れられない思い出になった。

 

2回目は20歳のころ、手品のボランティアでスリランカへ行った時。当時大好きで尊敬する人と一緒に、バスに乗って、迷いながらも手をつないで市場を回ってマンゴーをかじった瞬間は本当に楽しくてもう日本に帰らなくてもいい、この時がずっと続いたらいいのになと、心から願った。

 

3回目はつい先月。アフリカのベナンを訪れていた時だ。

 

車の中で、友人とクイズゴッコをしていた時に「もしあと1年しか命がないとしたら、こうさんは、何をする?」と尋ねられた。

 

その時に、自分でもびっくりしたのだけれども、何の迷いもなく、このままベナンに居続けたいと答えた。今と同じようにローカルな家で住みながら、彼の会社で仕事を手伝いたい。と。

 

なんなら、日本に戻って家族友人と対面で別れを告げる時間すらもいらない。

 

残された時間が限られているならば、現時点で自分の中で1番か2番目くらいに最も尊敬する彼と冒険し続けるこの日常を死ぬ最後のひと時まで送りたい。そう強く感じたのだった。

 

3.究極的に、生きる理由、生きる理念とは何か?

では、わたしはなぜ長い間、生きる理由と理念が分からなかったのだろうか。

それはやはり経験値不足によって、自分の人生に優先順位をつけるだけのデータがそろわなかったからだと思う。

 

そして、生きる理由、そして生きる上での信念とは、お金、名声、名誉、権力、自己実現等、この世で好ましそうなすべてを犠牲にしてもこれだけは守れたら本望だと思えるモノだ。

 

恐らく、究極的にわたしはこの人生を通して実現したい目標も、成し遂げたい夢も何もない。

 

その代わりに、死ぬ最後のひと時まで、精一杯、自分の既存の枠から外に手を伸ばして、良いことも悪いこともたくさん見て、感じて、この世界を味わい尽くしてやったと思いたい。

 

今回の人生では、やったね、遊びつくしたね、と自分を誇らしく感じたい。

そして、欲を言えば、自分が感じたありったけの世界中のワクワクと楽しさを、子どもに伝えていきたい。

 

それが実現したら、成功しなくても、野垂れ死にしても、人にばかにされても、本望だと思っている。