28歳になりました。 Happy ever afterのその先へ。
年が明けて、気持ちはForever 21ですが、あれよこれよと誕生日を迎えました。
去年は20代の中で一番印象的だった1年であり、27→28に変わる今年は、19→20へ変わる瞬間と同じくらい、胸の中で感慨深いモノがありました。
20歳の誕生日の前日、大きな節目を前に、自分に何か思い出に残るプレゼントをと思い、中野~西立川(実家)まで、日付が超えるタイミングにゴールできることを見計らって、走ることにしました。
「20歳になるんだから、今までの弱い自分、起こしてしまった失敗を許してあげよう」と、ぐっちゃぐちゃな10代の黒歴史を1つ1つ思い起こしながら、中央線の高架に沿って30km弱道のりを走り切った青臭い思い出。
あれから8年。
思えば、今までのわたしの人生は、中央線の駅をひとつひとつ超えていったあの夜のように、スタンプラリー状に歩んできました。
貧しい文化大革命時代を生き延びえた両親の教えに沿って、良い大学に入り、大きな会社に入って。
「これを手に入れたら、一歩幸せに近づけるはず!」
そう信じて、得になりそうな、世間的に良しとされるような、見栄えが良いような、人から褒められるような、そんな人生のスタンプをひとつひとつ、不器用ながらも掻き集めてきた日々でした。
あとは、素敵な旦那さんと結婚して、子どもでも産んだら、もう人生上がりなんじゃないか、と。去年の今頃、27歳の頭まではそんなことをぼんやりと思い描いていました。
しかし、社会人も5年を超えてくると、
今まで一緒に無邪気にはしゃぎ、無為に時間を過ごしていた友人たちが、名誉、世間体、金銭と一線を課した「自分のやりたいこと、人生で追及したいこと」に向かって、ひとり、またひとりと旅立ちはじめました。
頑張ってねと、見送った彼らの背中は、
「みくは、どのように生きていきたいの?」
「みくの人生にとって、大事なことはなに?」
そのような問いを、わたしの心に強烈に植え付けていきました。
目を逸らせないほどに。
そして、27歳のある時、わたしは気づいたのです。
例えこの先、素敵な旦那さんと結婚できたとしても。
子どもを産んだとしても。
わたしの目の前には、まだ4,50年という雄大な人生が待っている。
その時間を、わたしはどうやってきていくのだろうか。
何をよりどころにして生きていくのだろうか。
都会のおしゃれなレストラン。
旅先で集めた色とりどりのマグネット。憧れていたブランドのバック。
一等地での一人暮らし、寝心地のよい広いベット。
自由な時間。
わたしが抱える虚しさは、やるせなさは、きっとスタンプラリーの延長で解消できる賜物ではない。
何を獲得したかではなく、何を生み出したか。
いかに早く走れるかではなく、いかに自分の道を切り拓いてきたか。
金銭的な豊かさではなく、精神的な充足感。
これらのことに、きっと幸せの種は落ちている。
そんな風に気付いた、27歳の終わりでした。
今まで、幸せのよりどころや人生の正解を自分の外に求めていたけれども。
28歳はより、自分はどうやって生きていきたいか、
正解なき道を、じぶんの頭で、感性に素直になって、紡いでいきたいと思います。
2017年もどうぞよろしくお願いします!