未来日記

未来日記

恋に、仕事に、日々の日常について語る日記です。日常に、ワクワクという名の希望を届けていきたい。

2016年の振り返り

2016年の幕が閉じた。

昨年は20代の8年目で、あらゆるジャンルにおいて、一番勇気を出した年であり、一番挑戦した年でもあった。

 

120%の行動に対して、結果は70%というところで、最後まで思い通りにいかずに積み残した課題もたくさんある。2016年は今の自分の実力と勇気をすべて出し切ったのだから、それ以上の結果を出すこと、投資に見合う成果を求めることが2017年のテーマである。

そのため、2017はより知恵と戦略性に磨きをかけ、投資を惜しまない年にしたい。

2016年のTopicsを整理する。

 

1.家業のV字回復と完全引退

去年年初に売り上げが右肩下がりであることに大きな危機感を感じ、抜本的な見直しとテコ入れを行った。お正月の事業計画の立て直しからはじまり、丸々3か月に渡る大改装を経て、業績がV字回復した様子を見たときは、何とも言えない爽快な気持ちになった。

 

ビジネスにおける急速な業績悪化や、日常における予測不能な大きなトラブルはほとんどない。どれも、小さな予兆が少しずつあり、それに当事者である自分が見て見ぬふりをしたり、まだ大丈夫だろうと高を括っている内に、問題が肥大化するのである。

 

だから苦しくても、辛くても、目を背けずに早い内に問題の芽をつんだほうがよい。

 

逆に、自分にとって制御不可能な問題に関しては、良いアイディアが浮かんだり、解決の目途が立つまで敢えて先送りした方が良い時もある。また、直ぐに完全解決に持っていけないときは、やるだけやって、敢えていったん忘れる、といったテクニックも必要だ。でなければ、精神的なワーキングメモリーを消耗して疲弊するだけだ。自分でリスクを取って事業をすると、色々な知恵が身につく。これが一番の収穫だった。

 

2.プライベート

夢の実現等に関わらず、恋愛ですら多くの場合は、自分との戦いであるということを知った。また、第3者ではなく、相手と自分の1:1の関係性の中で、問題が発生したり、愛情の育成を左右する要因が潜んでいることを学んだ。

 

誰かとどんなに近くに居ようと、長い時間を過ごそうと、その人の性質やスキルは取り込めないが、相手を自分の心の中に住ませることによって、それは可能になる。要は、○○だったらこの時なんと言うか、この場合どうするか?と、その人になりきって自問自答することを繰り返すことによって、そのDNAを取り込めるようになるのだ。

 

好きの関心は、無関心ということを痛いほど思い知った。

伝統的な男女の役割を果たす醍醐味を知り、家事や料理に凝るようになった。

 

 

3.知恵への投資

下田美咲さんが発売する美肌Noteを購入し実践したところ、恐らく物心がついてから一番肌トラブルが減少した。今まで何軒もはしごした皮膚科、数十万投下したエステ代はなんだったんだろうと、知恵へ投資する大切さとともに戦略性を見誤る手痛さを知った。

 

管理職レシピもなかなか秀逸で、自炊の習慣がついた上に、体調/眠気の改善がびっくりするくらい進んだ。

 

何かに挑戦して成果が出なければ、「努力しているから」と言い訳をして状況が好転するのをだらだらと待つのではなく、素早く戦略性の妥当性を確認する必要がある。

 

同時に、目標出しと、細やかな記憶、定期的な効果測定も必要不可欠だ。

 

2017年は、これらを意識して、どんどん夢を仕込み、叶えていく1年としたい。

 

恐怖を取り除くのはポジティブシンキングではなくて、ロジカルシンキング?否、やっぱりポジティブシンキング。

大好きなキングコング西野さんが、興味深いインタビューをアップしている。

 

shigotonadeshiko.jp

 

特に、下記一文には非常に共感した。

 

僕は、恐怖を取り除くのはポジティブシンキングではなくて、ロジカルシンキングだと思っています。『こうで、こうで、こうなるから、大丈夫』ということを具体的に理論立てて説明し、納得さえできれば、人はポジティブになれる。ほら、初めての海外旅行は不安だらけですが、何度か経験して、その対処法がわかっていれば不安は消えるじゃないですか? あの感じです」 

 

かのいう私も非常に不安がりで、怖がりだ。

 

「未来は大胆だね、チャレンジャーだね」と評価してくれる友人もいるけれども、とんでもない。

 

私は自分ほど保守的で安定志向の人間は珍しいのではないかと思う。

 

物心がつく頃から、私は絶対に訪れてほしくない未来に関しては、冷静に分析した上で、ありとあらゆる手段を講じて回避する布陣を敷いた。更に、事前の仕込みだけでは飽き足らず、やむを得ず起こりうる最悪なケースを数パターンを想定し、そうなってしまった際の手当も併せて準備するのが常である。

 

14歳、高校受験の時。

「滑り止め、どこにする?」と相談しあう友人を横目に、私は念には念をと、私立公立県外県内含め計8校受験した。(内7校合格)

 

21歳、就職活動の時。

「大手いけるかな…。。><」と、不安を語り合う同級生の横で、私は生活保護を含む社会保障憲法の「基本的人権の保障」について学んでいた。当時の愛読書はBIG ISSUE。「何故皆、当たり前に就職できて一生働き続けられると思うほど楽観的なのだろう…」と不思議に思いながら、最悪職が見つからなくて一時的に路上に迷うことになったとしても、何とか生き延びれる策を真剣に模索していたのである。

 

昔から海外旅行が大好きで、アフリカ大陸を含む20か国以上旅行してきたのだが、旅立つ前には必ず有事に備えて、現地の中国大使館と日本大使館(中国大使館があてにならないリスクを考慮し)の連絡先を控える。更に、急死事故死するリスクに備えて、パソコンのハードディスクの整理は絶対に欠かさない。

 

最近は、「私たち、30になってもお互い独身だったら、結婚しよっか!」としたたかに異性の知人友人に布石を打つアラサーの友人を横目に、「生涯孤独で一生を過ごすことになりそうだったら、老後は一緒に暮らそう。」と親友に打診をしたばかりである。

 

ここまで書いて、自分でも病的なのではないかと疑う。

それくらい、私は本当に、本当に、怖がりである。

 

 

以前、定期的にデートしていた異性との関係に陰りが見え、

「もしかしたら、このまま一緒にクリスマスを迎えることはないのかもしれない…」

という心配が頭をよぎった。

 

時は銀杏がきれいな10月頃であったと記憶している。

 

一年で一番大好きなイベントであるクリスマスを、どうしても、大好きな彼と一緒に過ごしたい。

 

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だけど未来の保証はできないし、どうあがいだって、

私一人では離れていく人の心を繋ぎとめることも出来ないし、冷めていく愛情を温めなおすことも出来ない。

 

私は、悩んだ。

 

そして、ロジカル的に分析した。

 

結論、「クリスマスの思い出をつくる」という目標のみにフォーカスすれば、なんとか自分一人でもコントロール可能だという結論に達し、私は既成事実の作成に奮闘した。

 

結果、なんと1か月半以上も前倒しで、なんの脈略もなく

 

「メリークリスマス!!!!」

 

早すぎる季節外れのクリスマスプレゼントとカードを差し出し、

 

「(もし、関係が続いたら)あと2回くらい一緒にクリスマス祝おうね♡♡」

 

との言葉を添えた。

 

 

このように、西野さんに言うように、ロジカルシンキングを重ねて事前にリスクを認識すれば、最悪なケースは避けられるし、最低限押さえておきたいポイントは確保できる可能性がぐんと高まるだろう。

 

これが安心に繋がるのだと言えばその通りだけれども、ここには一つ、大きな落とし穴がある。

 

それは、リスクを認識することは、ネガティブな結果に意識を集中するとほぼイコールであるため、ついつい恒常的に物事を悲観的にとらえる癖がついてしまうということだ。

 

そして、現実は思考に引っ張られる。

 

深層心理で失敗するんじゃないかと思えば、失敗する可能性が高まるし、恋が終わるんじゃないかとばかり考えていたら、不思議なことに、本当に終わってしまうケースが多くなる。

 

しっかり計算された事業計画は、最悪なPassimic Caseを回避する力を備えると同時に、Optimic Caseに上方修正する可能性も奪ってしまうのだ。

 

先ほどの彼も、想定通りにクリスマス前に振られてしまい、2度目のお祝いをする予定だったクリスマスの本番には、涙をのんだ若き日の思い出だけが残った。笑

 

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どんなに悪い結果を想定していたとしても、心の手当の準備をしていたとしても、その通りになってしまうと、やっぱりとても辛いし、とても悲しい。前倒しにお祝いしたクリスマスの思い出は、失恋の痛みまで拭ってはくれない。

 

だから、ロジカルシンキングで、賢く準備して立ち振る舞うことも悪くないけれども、

 

「きっとうまくいく。」

「わたしはきっと、大丈夫」

 

そんな風に、根拠もなく、無邪気に自分を信じる力を持つこと。

 

ほしい未来を手に入れる、最強の武器はポジティブな心にあるのだと、最近は思い直した次第である。

楽しみな予定ほど、ドタキャンされても全然構わない。

旅行の飛行機をとるときは、いつも緊張する。

名前や生年月日は間違っていないか。

日程はあっているか。

手配する立場として、本当に無事に旅行を実行させられるのか…。

 

12月中盤に台湾旅行へ行くことが決まり、Skyscannerでチケットを手配した今朝も、例に漏れず、ドキドキしながら最後の決済ボタンをエイッと押した。

 

しかし、いつもとひとつ違うことがあった。

 

それは、余りにも嬉しすぎて、楽しみで楽しみで楽しみすぎて、

チケットが取れた瞬間に旅行が実行できるかどうか、全くもってどうでも良くなったからである。

 

元々生粋の中国生まれ中国育ちの私にとって、文字も言語も全て分かってしまう台湾は、海外旅行の行先としてなんの新鮮感もない。飲茶も夜市も、東京から大阪に出掛けてたこ焼きを喰らう程度の付加価値しかない上に、昨年だけで計7か国累計4回海外旅行に出掛けてしまったため、旅行という行為自体に飽きてしまったのだ。

 

そんなコンテンツ自体に1mmもの魅力も期待もない台湾旅行だが、同行する友人が、以前、「千と千尋の隠しの舞台となった九分を見てみたい、九分が人生で一番行きたい場所なんだ」と話してくれた。

 

長年憧れていた九分を訪れて喜ぶ友人の笑顔、それは私にとっての新鮮で魅力的で期待値の高い最高のコンテンツになると確信した。

 

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そして今朝、通勤の半蔵門線の中で実際に飛行機を予約した瞬間、九分の風景と友人のはしゃぐ可愛い姿が鮮明に脳裏に浮かんだ。

 

最近仕事で色々思い悩むことがあり、昨夜など一睡もできないくらい気持ちがふさぎ込んでいたが、脳裏に浮かんだその光景が、全ての疲れと憂鬱を吹き飛ばしてくれた。そして、「今日も頑張ろう。せめて1か月後の台湾に行く日まで、しっかりと生きてやろう」と、体の奥底から熱いエネルギーが湧きあがった。

 

流れていく日常の中で、希望という名の感情を手に入れる機会はなかなかない。

 

例えこの約束が実現されなくても、先払いした数万円のチケットが無駄になったとしても、友人の笑顔を実際に見ることがなかったとしても、確かな実感を伴った希望が、たった一瞬でも、私を心底楽しませてくれたのだ。

 

それで充分だと感じた。

 

だからこそ、本当に楽しみで楽しみで仕方ない予定ほど、意外にドタキャンされても全然かまわないのだと気づいた。むしろ、昔からの約束であるほど、そして直前のドタキャンであればあるほど、長い間希望と妄想で楽しませてもらったことになる。感謝しても、お釣りが出るくらいじゃないか。

 

自分を含め人間は気まぐれな生き物だし、トランプは大統領になるし、人生何が起こるか本当に予想できない。

 

わからないからこそ、タナボタ的に外部から降ってくる「楽しいこと」ばかりに期待せずに、未来が楽しみだと思えるような、この人生をもっと生きてみたいと思えるような予定を、怖がらずに、ためらわずに、自ら積極的にどんどん仕込んでいきたい。

 

例え結果としてその予定が実現しなくても、シコシコと仕込んだ楽しみは、必ず希望のカケラとなって淡白な日常を彩ってくれる。

 

もうすぐやってくる、街がキラキラと輝く季節に合わせて。

 

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賢さとは、自分という乗り物を上手に使いこなすこと。

ローウィンのワクワクする空気感が溢れる渋谷の土曜夜、騒がしい街の隅っこで学生時代の友人5人組で、しっぽりとおでんを突っついた。

 

順々と近況報告をしていく中で、Aくんは、8年間付き合っていた彼女と別れて傷心中との情報が共有された。穏やかで優しいAくん。私はこのような心が綺麗な人種に人生支えられてきたこともあり、個人的にはとても好きなのだが、彼自身「俺なんかと付き合ってくれる女の子いるかな~…」とがくりと肩を落とており、「まぁ、お前、優しすぎるよなー。それだと面白みに欠けて、飽きられるよ!」と周りに茶化されていた。

 

自信を失った友人を前に、この現状をロジカルに分析してみた。

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まず、大前提として、「自分なんていいところがない」と投げやりになるのは、あかん。一番やってはいけないことだ。

 

もちろん、何かに躓いた時、大きなショックが訪れた次の瞬間、このように自信喪失することはあるだろう。しかし、ネガティブなマインドを持ち続けることは即ち、自分自身の魅力の探求を放棄することだ。確かに人は皆、自分の魅力を客観的に分析することは難しく、嫌な部分の方が目につきやすい。他人に見つけてもらって、初めて気づく自分の良さもあるだろう。

 

それでも、だ。

 

自分の魅力を発掘する責任を放棄してはいけない。

 

この世に、魅力がない人はいないが、魅力を上手く引き出せない人はごまんといる。そして、自分の魅力を引き出すこと=自分という乗り物を上手に使いこなすことであり、仕事でもプライベートでも、自分をうまく使いこなせた人間だけが、自分の思い描く人生を手にすることが出来る。

 

そして、魅力とは、「ハードスキル」x「ソフトスキル」x「パーソナリティ」の掛け算である。

 

更にこの3つの要素が、かけ離れて、大きな体積を形成すればするほど意外性が生まれ、人間としての面白さ・深みが増す。よって、それぞれの要素がxyz軸に乗っていると仮定すると3次元に大きくプロットし、大きな三角錐を描くよう、自分を見せる工夫をすると一番効果が大きい。

 

今までの人生を振り返ってみてほしい。

 

イケメン・美人なのに、意外とモテない。

お金持ちなのに意外とモテない。

とても優しく、良い子なのに、意外とモテない。

 

そう思う友人が思い当たらないだろうか?

そう、3次元中1つの要素が突出していても、成果に繋げる(他人からの好意を獲得する/高次元の成果物を産む)ことは、実は難しい。すべてはバランスなのだ。

 

友人Aを例に出すと、

 

「ハードスキル(専門職で正社員)」x

「ソフトスキル(人に合わせることが得意)」x

「パーソナリティ(温厚で優しい)」

 

それぞれひとつひとつの要素はどれも魅力的ではあるが、いかんせんどの要素も距離が非常に近く、意外性が薄い。言葉を変えると、「このハードスキルを持っている人は、このようなソフトスキルを持っているだろうな」と、予想出来てしまう範囲に収まってしまっているのだ。

 

実際、Aくんには仕事熱心であったり、ハードにスポーツを行う等、たくさんの意外性がある。魅力がある。是非とも上手い組み合わせを探索して見てほしい。

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そして、最近とても面白い三角錐を目撃したので、そのエピソードも併せて披露したい。

 

ある日、友人Bが「今日の午後に、髪を切りに行く」と宣言し、バイバイをした。

 

その数時間後に、友人たちのグループラインでBの写真が共有されていたのだが、親指と人差し指を使って、iPhoneの画像を最大ズームしてみても、彼の散髪のBefore/After写真に、一縷の変化を見つけることも出来なかった。

 

美容院に行った後の髪形に全く変化が見当たらない等、女子特有の世界観だと思っていたため、私は目を疑った。ギャル男やイケイケのオシャレイケメンならまだしも、オシャレにも服装にも疎そうなBに限ってそんな細かな髪芸を繰り広げているはずがない。

 

そう思い、私はその秘密を探るべく、Bに会いに行った。

 

すると、Bは後ろ髪と横を短く切っており、前髪は伸ばしているという髪芸を展開しており、そのBefore/Afterの違いは確かに正面から確認することが出来ない、細かく手が凝ったものであった。

 

同時に、とてもとても、似合っていた。

 

非常に些細な出来事ではあったが、普段控え目で質素、且つタイがどこにあるかもわからずに海外旅行に行きたいと主張するBは、とてもじゃないが、自分を良く魅せる細かい計算ができるような賢いタイプだと全く思っていなかったため、とても衝撃を受けた。

 

しかし、Bを細かく観察してみると、カバンや服装等、目立つ大きい持ち物はブランド物ではないが、ひとつひとつの小物は高質且つ清潔であり(ボールペンはモンブラン、ハンカチはしっかりとアイロンがかかっている等)、それらはとても上手く組み合わさっていた。B自身は長身イケメン且つ若手の営業職であるため、目立つ高価な持ち物を身に着けていると目立ちすぎて嫌味に映ってしまう。しかし、日常にところどころ細かく丁寧なこだわりを散りばめることによって、たちまち気持ちの良い上品さが滲み出る。

 

とても器用で、上手な戦略だと感心した。

 

彼のマトリックスを分析すると、

 

「ハードスキル(イケメン)」x

「ソフトスキル(上品でセンスが良い)」x

「パーソナリティ(控えめで聞き上手)」

 

である。

 

どの要素を抽出しても、イケメンなのに控え目、センスが良いのに控えめ、控え目なのに上品と、どれもうまい塩梅で組み合わさっており、これらが普段の仕事ではおじさんを、そしてプライベートでは後輩女の子を悩殺している秘密であろう。

 

 

自分を活かすも殺すのも、結局は自分次第であり、本当の自分なんてどこにもない。すべては見せ方次第なのだ。

 

せっかく一度きりの人生ならば、賢く自分という乗り物を乗りこなして、大海原をスイスイと気持ちよく駆け巡りたいじゃないか。

 

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Aくん、不器用どうし、一緒に頑張っていこうね。

似ているから、嬉しい。違うから、楽しい。

 

 「似ているから、嬉しい。違うから、楽しい。」

 

就活時に、どこかの企業のキャッチフレーズとして見つけた言葉である。

 

学生の時は、せいぜい2-3歳違いの先輩後輩で固まっていたのに対し、社会に出てからは、否応にも20,30歳違う先輩や国籍、バックグランドが全く異なる人々と一緒に私は大半の時間を過ごすようになった。戸惑いと不安に飲み込まれそうになった私を、就活を終えた後でも、この言葉が支え続けてくれた。

 

社会人1年目の時は、アフリカ担当となって、現地のローカルのお客さんとのやり取りで四苦八苦していた。

 

エチオピアでは、一日の日付変更線、いゆわる「24時」が、朝の6時であると聞いた時にはとても衝撃を受けた。更に、彼らが日常で使用しているエチオピア歴では、1年に13か月有り、西暦とは7年9か月のずれがある。つまり、本日2016年は、エチオピア歴ではまだ2009年である。なんとまぁ、ややこしい。書類のやり取りでは、いつも冷や冷やとさせられる珍事件ばかりで、よく脂汗をかいていた。

 

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そうこうしている内に年月が経ち、桜咲く季節をいくつも超えた。

 

いつまでも若い気分で入るけれども、25歳を過ぎたら女の子ではなくなるし、最近ではリクルートスーツを着た大学生を見かけると、ずいぶん遠い世界のように感じるようになった。

 

そんな中、久しぶりに、心躍る出来事に遭遇した。

 

昨日の夜中に、電話をしていたとき。

5歳年下のその友人の受話器の向こう側では、いつも複数人の楽しそうな笑い声が聞こえていた。

 

「テレビ?ラジオ?お笑い番組かなんか流しているの?」

 

ふと、尋ねてみると、TVでもラジオでもなく、YouTube見ているらしい。

 

「そうか…この人は、毎晩、YoutubeをTV感覚で見ているのか。」

私は感心した。

 

そして友人は、今、私とLINE電話している正にそのスマートフォンを用いて、Youtube映像を流していることに気付いた。

 

そう、スマートフォンは今では若い世代の中では、当たり前のように、TV電波も電話回線も代用してしまっているのだ。

スマートフォンは社会を変えたデバイスだと主張する記事は幾度も目にしてきてけれども、昨日は初めて肌感覚でスマートフォンが起こす社会変化を実感し、身を震わせた。

 

「みく、一緒にこの映像を見よう。いっせーのせっで、一緒に再生しよう!」

 

電話口の向こうでは、そんな風に思いを巡らす私をそっちのけに、無邪気な友人の声が聞こえる。なんと、斬新で、ちょっと胸きゅんする提案なんだ。

 

しかし、何度いっせーのせっを試しても、アナログ世代の私は何故か上手くいかない。何度やり直してもどうしても1,2秒のずれが生じ、スピーカー越しの音声と自らのスマートフォンから流れる音声はぴったりと重ならない。少し遅れて聞こえるノイズに似た音声が、正に私と友人の間に流れる感覚の違いのように感じた。

 

たった5年、されど5年。

似ているようで、少し違う。

嬉しくて、楽しくて、温かい。

 

おすすめされたゲーム実況たるものを一緒に見てみたものの、1ミクロンとも面白さを理解できなかったことも、また大きな衝撃であった。

 

これが、いゆわるジェネレーションギャップなのだろうか…。

 

彼と私のように、私たちは皆ひとりひとり、同じ世界を生きていても、見ている世界や感じる価値が少しずつずれていて、五線譜のように、ゆるやかに平行を描きながら、互いに寄り添って生きているのだろう。

 

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似ているように感じても、五感を研ぎ澄ませば、自分では気付かなかった、見えなかった少し角度の違う世界が目の前に広がっているのかもしれない。いつだって目の前の人が、自分の世界を立体的に広げてくれていたのだ。

 

スマートフォンからは、2秒遅れた効果音と、全く面白くない大げさなギャグが聞こえる。

 

受話器からは、友人の笑い声が聞こえる。

 

彼や周りの人たちが描いてくれた五線譜の上を、今日も私は愛しさに満ちた音色を立てながら、軽やかに踊っている。

「選ばれない」痛みは、いつも鋭く胸を刺す。

今日、とある社内選考の面接を受けた。

 

面識がない面接官2人を前に、膝を震わせながら思いを伝えた15分。

 

キリキリとした緊張感漂う空間の中で、限られた時間と相手の反応を伺いながら、自分という人間を語る。信念を語る。夢を語る。

 

終了の合図がして、お辞儀をした後に席を立つと、少しの安堵と、思いを100%伝えられなかった後悔と、結果に対する恐怖心でズーンと心が沈む。

 

私の話は、相手にどれくらい伝わったのだろうか。

選ばれなかったら、どうしよう。

アテが外れたら、またイチから人生構想を立て直さないと…。

 

就職活動の時に感じた感触を久しぶりに思い出した午後だった。

志望企業の選考に落ちることは、片想いの相手に振られて失恋する感覚ととても似ている。

 

想いを伝えられずに散る恋は切ないものだが、伝えて玉砕した悲しみは、また違った種類の後味の悪さを残す。

 

だって、私という人間を精一杯伝えて、貴方(貴社)をどれだけ好きなのかという想いを伝え、欲しいポジション(入社/恋人)もガラ空き絶賛募集中であるにも関わらず、お断りってどういうこと…!!

 

タイミングが悪かった、相性の問題だというけど、そんなの結局綺麗事で、

 

「君は要らない」

 

そうやって、存在を否定されることと何が違うのだろう。

 

選考結果が出るまでの2週間。

 

私は、久しぶりにこの「自分は選ばれないんじゃないか」という怖さと同居するだろう。

 

頭ではわかっている。

選ばれなくても、私の価値を、存在をすべて否定されるわけではないことを。

何かを失うわけではないことを。

 

理想としては、自分の人生の方向性をしっかり持って、「自分は選ばれる立場ではなく、選ぶ立場だ。今回がだめでも、また幾らでもチャンスはある」と心を強く持つことが出来れば、ひとつひとつの選ばれない事象に過度に怯えることはなくなるだろう。でも、私は今までの人生で積み上げてきた実績もなければ、礎となる人生方針も未だに固まっていない。ダメダメな弱い自分のままだ。

 

ひとつひとつの挑戦に、自分の人生を変えてくれるのではないかという、過度な現実逃避的な願望を抱いているからこそ、一喜一憂するのだろう。

 

大きな期待をかけて何かにチャレンジした分だけ、失敗して悲しみを追うリスクも抱えることになる。

 

幾つになっても、情けないほど痛みに敏感で、選ばれないことにビクビクする格好悪い自分がいる。

 

だから、

せめて私は懲りもせずに、

恋しいと思った相手に、受け取ってくれるかも分からない愛を差し出し続けたい。

目の前に舞い降りた心躍るチャンスに、身の程知らずに手を伸ばし続けたい。

幼い日に見た青臭い夢に向かって、人に笑われながらも走り続けたい。

 

強い自分に、今すぐなれないけれども、歩みを続けることは、自分の意思をもって選択し続けることができる。

 

弱い自分を励ましながら、一歩一歩、前に進もう。

 

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差し出された好意ではなく、拾い上げた素顔に人は恋をする。

「笑いってね、2種類あるんだよ」
 

雨が降る昼盛り、オフィス下の焼き鳥屋さんで親子丼を頬張りながら、先輩(36歳、既婚、子連れ)が呟いた。

 
「お笑い番組を見ている時のような愉快な笑いってあるでしょ。でもね、子供を持つと、幸せな気持ちから滲み出る笑いをいうものをあるということを、発見したんだよ。たとえば、今年の春、娘が小学校に入学したのだけれどね」

 
一息をついて、味噌汁をすする。
 
 
「ランドセルを背負った娘の姿を見たときに、こう、じわーーーーと家内も自分も、何とも言えない笑顔になってね。娘の成長に気付いた時に湧き上がる笑い。それは、ただただ差し出された愉快な笑いとは比べられないほど、人を幸せにするものだよ」

 

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失恋直前&失恋直後のアラサー女二人にとってはカンフル剤のような心温まる話であった。
  
コーヒーを買ってオフィスに戻ると、まだ胸に、じんわりと温かい幸せな気持ちが残っている。
 
子どもを持ったことのない私には、ランドセルを背負った娘を目にする幸せはまだ分からないかもけれども、先輩の言うことが何となく理解できるような気がした。
 
 
数年前の春。

 
指導教官の松本先生による学期末の最後の授業の光景が、頭に浮かんだ。すぐそこまで来ている春休みの始まりに心を奪われた学生たちの喧騒が溢れかえった教室の中で、10秒ほどだろうか。最後の方程式を書き終えた先生はチョークを置き、皆を一瞥した後に、「1年間、ありがとうございました」と深々と頭を下げた。

 
先生の凛とした謙虚な姿勢、仕事へのプライドを垣間見た私はひどく感動した。1年間受けた電磁気学の授業の肝心の中身は全く頭に入らなかったけれども、ピンと背中を伸ばした退職間際の松本先生の後ろ姿、深々と頭を下げた残像は、心に深く刻まれた。その後、私は迷わずに松本先生の研究室への配属希望を出した。

 
季節は廻り、数年後の春。

 
温かい昼盛りに、付き合いだしたばかりの彼と、彼が買ったばかりの一眼レフカメラを手に取ってはしゃいでいた。これを持ってどこへ行こうか?何を撮ろうか?夢と思いは膨らみ、気持ちは大きくなった。そんな矢先に、ソファーから立ち上がった彼は、大きな音を立てながら、手に持っていたカメラを派手に床に落とした。

 
私たちは、呆然と固まった。
 
彼は買ったばかりの8万円のカメラに、私はポッコリ凹んだ賃貸マンションの床に、愕然とした。

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その数秒後、何を思ったか、彼はカメラを拾い、唾をつけた指で3回、カメラを擦った。
 
「まだ新しいのに、傷がついちゃって、可哀想に・・・」
彼のつぶやきを聞いて、この【カメラに唾をつける】という謎の行為は、転んで擦りむいた膝小僧には唾を付けて治す、という行為と同じロジック下で行われていると理解した。
 
なんて…動物的な人なんだろう。
私は恋心を強くした。そして、彼の理屈に従うのならば、綺麗に凹んだ私の床も舐めて治してくれるのだろうか。いや、舐められても困るのだけれども…。複雑な心境が吊り橋効果を高めたのだろうか。私は、彼の次のアクションに胸を膨らませた。
 
しかし、期待に反して、何も起こらなかった。そもそも、彼は床の傷にすら気づいていないらしい。そんなちょっと自己中心的なところも愛おしく感じた、春のひと時だった。
 
 
時は巡って、初夏。
 
トキの大群が南下する季節に合わせたのか、動物的な彼との恋もあっさりと終わりを迎え、私は残された床の傷を眺めながら、心の傷を舐め回していた。
 
そんな傷心した姿を見兼ねた女性の先輩が飲みに連れて行ってくれることになった。

 
忙しい彼女の予定に合わせて、待ち合わせを当初の予定より1時間半遅らせた後に、私は先に到着した店先でサングリアを飲みながら、彼女を待っていた。オレンジの酸味が夏の暑さにとてもマッチしている。ほろ酔い気分で窓の外を一瞥すると、黒いイブニングドレスのようなワンピースにピンヒールを身につけた美人がこちらに向けて爆走している。

「未来ちゃん、遅れた!!ごめん!大丈夫?」
 
結婚式帰りのような綺麗な格好をしているのに。めちゃくちゃ仕事で忙しいのに。無理して時間を作って、走って駆けつけてくれたんだ。そんな情に深い、優しい先輩の姿を見た瞬間、あぁ、なんて温かいのだろうと、熱いものがこみ上げてきた。そして、私の憂鬱は、彼女が店に入ってきたあの瞬間に、既にきれいさっぱり、吹き飛んでいったのであった。

 
小さい子供は、成長していく過程で、日常生活の中で、たくさんの素顔をこぼしていく。それをひとつひとつ拾い上げる喜び、それが第2の笑いの正体なのだろう。

 
松本先生が一生懸命指導してくれた授業も、彼との楽しいデートも、先輩の慰めの言葉も、時間と共に記憶の中に溶け込んでいき、今は霞のようにしか思い出せない。差し出された好意は、悲しいことに経年風化していく。でも、瞬間瞬間に発見した「その人らしさ」は、瞼を閉じればその裏に映し出されるように、くっきりと浮かび上がってくる。心の引き出しから取り出すたびに、いつだって、幸せ記憶と共に、蘇せることが出来る。


そのたびに、私は何度も、何度も、恋をしていくのだろう。

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