未来日記

未来日記

いつも鬱々としていた丸の内OLの日誌。人生をポジティブに変えていくのは、自分の行動次第。

【全メンヘラ女子に捧ぐ】史上最強の自己啓発は、引き寄せの法則でも、7つの習慣でもなく……財務諸表である。

尊敬する先輩の異動が決まった。

人事異動が日常茶飯事な我が会社で、数えきれないほどのさよならを経験した。

 

でも、こんなに悲しい気持ちになったのは初めてだった。

 

涙をこらえて部内会議をやり過ごしても、業後まではこらえきれず、セブンイレブンでマスクを購入し、帰りの電車内でワンワンと泣いた。

 

入社以来、一番親身に指導して、応援して、励ましてくれた先輩だった。

 

そういえば半年前位に、「黄さんの一番の長所は、その図太さだな」と言われたことがある。

 

泣き明かした赤い目を擦り、顔を上げると、真っ裸な枝の先々にうずめく桜の芽を見つけた。働き始めてから6回目の春の訪れに気付く。どんなスキルよりも、知識よりも、その図太さこそが、5年間掛けてわたしが手に入れた一番の財産だということを思い出した。そして、それまでは毎日こんな風に泣きじゃくっていた、という昔の記憶も。

 

社会人になる前のわたしは、絹豆腐状に心がもろく、毎日些細なことで傷つき、落ち込み、心を乱していた。

 

親からの叱責、友人への嫉妬、自分の不出来による苦悩、漠然とした将来への不安。心をかき乱す材料をひとつひとつ丁寧に拾っては、会社のデスクで、女子トイレで、帰路で、家の布団でと、場所を選ばずに毎日泣きじゃなくっていた。

 

つい近年まで、わたしは、本当にどうしようもない程にこじれたメンヘラ of メンヘラだったのである。

 

そんなわたしが徐々に心を強くしてくれたのは、ズバリ…、

 

財務諸表である。

 

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特に、財務三表は人生のホロスコープであり、羅針盤である。

 

20数年間、メンヘラ街道まっしぐらなわたしを救い出したのは、神でも仏でも幸福の科学でもなく、P/L、B/S、Cash Flowであった。

 

財務諸表を読み解ければ、日常の悩みの8割は紐解ける。

 

幼少時代、家族で中国から日本に移住したばかりということもあり、家族3人世帯収入200万円で10年間ほど暮らしていた。その名残のせいか、大人になって経済状況が改善されたはずなのに、どんなに働いても、貯金をしても、「これで本当に大丈夫なのか…」と漠然的な不安は消えることはなかった。

 

そんなある日、フリーキャッシュフローと運転資金の概念が、わたしを開眼させた。

 

企業にとって、売り上げの大きさや余剰金の有無に関わらず、フリーキャッシュフローが黒字である限り、取りあえずの存続は確保できるように、稼ぐ金額の多さや貯金額の有無に関わらず、毎月の支払いが滞っていなければ個人の生存が脅かされることはないのだと知った。そこで、わたしは早速自分個人の運転資金に当たる毎月かかる費用を計算した。光熱費、家賃、食費…と、自分が快適とする生活を維持するために必要な絶対額を確りとした数字で認識すると、今まで何年もわたしを悩ませていた漠然とした不安も、貯金への強迫観念も自然と消えていった。

 

今では、上司に「君のバリューはなんだね」と嫌味を言われても、「若さというのれんが大半ですが何か…!」と心で毒づき、どんなお偉いさんを前にしても、「減価償却分を差し引いた残存価値で比べると、わたしも負けていないはず!」と図々しく構える術を覚えた。

 

また、意中の異性に振られても、「こんなこともあろうと、積み立てた引当を取り崩すだけだもん、経営の根本は揺るがない…!(震)」と、心のB/Sをまさぐるようになり、わたしの図太さはどんどん助長され、涙は枯れた。

 

そして何よりも、今までわたしはどんな自己啓発本を読んでも、アナ雪ブームに乗ってLet it goを熱唱しても、「自分は自分のままでいいんだよ」とは心の底からは思えず、他人と比べては卑屈になって落ち込むといった、不毛なループを繰り返していた。

 

しかし、投資家が企業価値を判断する際に、営業利益やEBITDAの絶対額ではなく、ROAといった効率指標やIRRといった収益性指標の方が重視されると知った時、またまた開眼させられた。

 

例え、自分のB/Sが小さくても、保有資産の中身が思い描いていたポートフォリオとは異なっていても、そこから戦略を立てて、自分らしい最高の価値を生み出していけばよいのだと他人と比べなくてもいいのだと、心の底から納得することが出来たのだ。

 

自然万物に神は宿るというように、ひょんなところに幸せのヒントが落ちているものだから、神様も侮れない。

 

さて、涙をふいて、今夜も聖典(簿記2級の教科書)を開くとしよう。

 

 

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【お隣の社会は、未来を覗く窓】

小さい頃、「未来のことは神様しか知らないんだよ。」とお爺ちゃんに教えられた。

だから、何が起こってもいいように、しっかりと勉強して立派な大人になりなさいと。

 

でも、大人になってから、個々人に降りかかるミクロ的な未来は分からなくとも、社会の様子、特に違う地域、違う国の様子を知ることで、自分の生きる社会の未来はある程度予測できることのではないかと、感じることが増えた。

 

例えば、今、日本でブームとなっている民泊。

今日本では、まだホテル業界やマンションの管理組合等からの反対しかないため、異論を唱える声は弱く、一般的な関心もまだまだ低い。

 

対して、数年間先行して、民泊が浸透しているパリ、ニューヨーク、バルセロナといった世界的な観光都市を見渡すと、軒並みAirbnb社の台頭による不動産の価格高騰が断トツの問題となり、一般市民からの反対が同社の何よりもの大きな課題となっている。

 

そこで、Airbnb社は"One Host One Home"といったキャンペーンを打ち、複数物件を運営しているアカウントを強制的に締め出したり、稼働日数を自動カウントし、法定宿泊日数を超えた物件を強制凍結させている。

 

新たに民泊をスタートさせている知人が増えてきたが、一番心配すべきリスクは現行の規制や稼働率ではなく、もうすぐ、しかし確実に訪れるであろう業界情勢であろう。

 

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最近、働き方改革であったり、副業/複業を企業に認めるような世論が強まってきた。それらが実現した未来はどうなるのか。

 

下記現代のアメリカの中間層を紹介する番組で、垣間見た気がした。

日本では、「複業で仕事を2つ掛け持ちしている!」と聞けば、その存在はまだ珍しいため、格好いい、やり手だといったイメージが先行する。しかし、このビデオによると、複業/能力主義が当たり前に浸透しているアメリカでは、2つ、3つ仕事を掛け持ちすることは本職で十分な稼ぎを得られないことに他ならない。

 

巷では社員の副業を応援するサイボウズの取り組みが先進的で素晴らしいと讃えられるに対し、アメリカでは副業を行う従業員比率が高い企業は「従業員を十分に食わせられていない会社である」と世間的に見なされ、イメージダウンに繋がる。このビデオでは、公務員である消防士ですらも本職で一家4人家族を支える程の収入にならないため、3つ仕事を掛け持ちしている男性が紹介されている。

 

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誤解を恐れえずに言えば、長時間労働を容認し、専業しか認めないということは「うちの会社に忠誠心を持って働いてくれたら、あなた(及び配偶者、子供)の生活は保証しますよ」といった、ある種企業側の漢気のようなものだと、私は考えている。従ってその文化を完全撤廃し、合理的な働き方を促して従業員に他の収入軸を持つことを赦すことは即ち、会社が従業員及びその家族を養うという義務を手放すことにも繋がるのだ。

 

もちろん、ダラダラした意味のない長時間労働や会社が従業員を縛ることを肯定しているわけではない。

 

しかし、職の流動性が高まり、合理化を高めた先には、ホワイトカラー優勢の社会がさらに強化なものとなり、仕事の仕組みを設計する人(経営者や資本家等)と、仕組みに従う人(従業員、雇われる立場の人)の貧富差が信じられない程広がった未来が待っている。

 

「この事業のどの部分でチャリンできるのか?」

 

上司によく問われる言葉である。

昔は、業界やライバル企業の変異を追っていけば、未来を予測し、チャリンできる(=マネタイズする)ポイントの変化を負うことができた。しかし、目まぐるしく変化していく社会では、未来を予測するだけではなく、実際に未来を覗いた上で、組織の、そして自身の身の振り方を細かく設計していくべきなのかもしれない。

 

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あなたの、光になる。

素敵な先輩が異動してきた。

如何にも商社マン街道まっしぐらに歩んできました、と言わんばかりの会社人生40年戦士の先輩は、歓迎会で腹を抱えるほどのユーモアを混ぜこんだスピーチを披露してくれ、わたしをおおいに笑わせ、感動させた。

 

そして、歳にして30以上違う中、とても柔らかい物腰で、言葉の端々から知性とリスペクトを感じとれた。 

 

歓迎会終了後、寒々とした神田の街並みをひとりで歩きながら、明日から先輩と一緒に机を並べるのが本当に楽しみだ、と胸が熱くなった。

 

帰りの満員電車の銀座線に一歩足を踏み入れたとき、切りつけるような寒風にさらされたときも、いつもより憂鬱さが5%くらい減っているような、そんな気がした。

 

昨日より今日、先輩から何か吸収できるかもしれないと考えたら、なんだか明日の朝はいつもより5分早く起きられる気がした。

 

そう考えると、

誰かの日常で一輪の花を添えてあげるような、

少しばかりの幸せとユーモアを届けられるような存在になることは、

「明日を生きるのが楽しみだ」とその人が思えるキッカケを与えることであり、

その人の人生に光を灯すことと同義なんだ。

 

たとえそれがちっぽけな影響力しか持たない、ろうそく並みの光であったとしても、

確実にその人の人生に照らす希望となっている。

 

ユーモアは正義であって、リスペクトは金なんだ。

 

はじまったばかりの28歳。

 

これから、いくつの光を集められるのだろう。

いくつの光を届けられるのだろう。

 

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28歳になりました。 Happy ever afterのその先へ。

年が明けて、気持ちはForever 21ですが、あれよこれよと誕生日を迎えました。
 
去年は20代の中で一番印象的だった1年であり、27→28に変わる今年は、19→20へ変わる瞬間と同じくらい、胸の中で感慨深いモノがありました。
  
20歳の誕生日の前日、大きな節目を前に、自分に何か思い出に残るプレゼントをと思い、中野~西立川(実家)まで、日付が超えるタイミングにゴールできることを見計らって、走ることにしました。
 
「20歳になるんだから、今までの弱い自分、起こしてしまった失敗を許してあげよう」と、ぐっちゃぐちゃな10代の黒歴史を1つ1つ思い起こしながら、中央線の高架に沿って30km弱道のりを走り切った青臭い思い出。
  
あれから8年。
 
思えば、今までのわたしの人生は、中央線の駅をひとつひとつ超えていったあの夜のように、スタンプラリー状に歩んできました。
 
貧しい文化大革命時代を生き延びえた両親の教えに沿って、良い大学に入り、大きな会社に入って。
 
「これを手に入れたら、一歩幸せに近づけるはず!」
 
そう信じて、得になりそうな、世間的に良しとされるような、見栄えが良いような、人から褒められるような、そんな人生のスタンプをひとつひとつ、不器用ながらも掻き集めてきた日々でした。
 
あとは、素敵な旦那さんと結婚して、子どもでも産んだら、もう人生上がりなんじゃないか、と。去年の今頃、27歳の頭まではそんなことをぼんやりと思い描いていました。
 
しかし、社会人も5年を超えてくると、
 
今まで一緒に無邪気にはしゃぎ、無為に時間を過ごしていた友人たちが、名誉、世間体、金銭と一線を課した「自分のやりたいこと、人生で追及したいこと」に向かって、ひとり、またひとりと旅立ちはじめました。
 
頑張ってねと、見送った彼らの背中は、
 
「みくは、どのように生きていきたいの?」
「みくの人生にとって、大事なことはなに?」
 
そのような問いを、わたしの心に強烈に植え付けていきました。
目を逸らせないほどに。
 
 
そして、27歳のある時、わたしは気づいたのです。
 
 
例えこの先、素敵な旦那さんと結婚できたとしても。
子どもを産んだとしても。
 
わたしの目の前には、まだ4,50年という雄大な人生が待っている。
 
その時間を、わたしはどうやってきていくのだろうか。
何をよりどころにして生きていくのだろうか。
 
都会のおしゃれなレストラン。
旅先で集めた色とりどりのマグネット。憧れていたブランドのバック。
一等地での一人暮らし、寝心地のよい広いベット。
自由な時間。
 
考えうる限りのキラキラしたスタンプの先に、桃源郷のような幸せが広がっているような気がして、今まで精一杯走り続けてきたけれども。
 
わたしが抱える虚しさは、やるせなさは、きっとスタンプラリーの延長で解消できる賜物ではない。
 
何を獲得したかではなく、何を生み出したか。
いかに早く走れるかではなく、いかに自分の道を切り拓いてきたか。
金銭的な豊かさではなく、精神的な充足感。
 
これらのことに、きっと幸せの種は落ちている。
そんな風に気付いた、27歳の終わりでした。
 
 
今まで、幸せのよりどころや人生の正解を自分の外に求めていたけれども。
 
28歳はより、自分はどうやって生きていきたいか、
正解なき道を、じぶんの頭で、感性に素直になって、紡いでいきたいと思います。
 
2017年もどうぞよろしくお願いします!
 

2016年の振り返り

2016年の幕が閉じた。

昨年は20代の8年目で、あらゆるジャンルにおいて、一番勇気を出した年であり、一番挑戦した年でもあった。

 

120%の行動に対して、結果は70%というところで、最後まで思い通りにいかずに積み残した課題もたくさんある。2016年は今の自分の実力と勇気をすべて出し切ったのだから、それ以上の結果を出すこと、投資に見合う成果を求めることが2017年のテーマである。

そのため、2017はより知恵と戦略性に磨きをかけ、投資を惜しまない年にしたい。

2016年のTopicsを整理する。

 

1.家業のV字回復と完全引退

去年年初に売り上げが右肩下がりであることに大きな危機感を感じ、抜本的な見直しとテコ入れを行った。お正月の事業計画の立て直しからはじまり、丸々3か月に渡る大改装を経て、業績がV字回復した様子を見たときは、何とも言えない爽快な気持ちになった。

 

ビジネスにおける急速な業績悪化や、日常における予測不能な大きなトラブルはほとんどない。どれも、小さな予兆が少しずつあり、それに当事者である自分が見て見ぬふりをしたり、まだ大丈夫だろうと高を括っている内に、問題が肥大化するのである。

 

だから苦しくても、辛くても、目を背けずに早い内に問題の芽をつんだほうがよい。

 

逆に、自分にとって制御不可能な問題に関しては、良いアイディアが浮かんだり、解決の目途が立つまで敢えて先送りした方が良い時もある。また、直ぐに完全解決に持っていけないときは、やるだけやって、敢えていったん忘れる、といったテクニックも必要だ。でなければ、精神的なワーキングメモリーを消耗して疲弊するだけだ。自分でリスクを取って事業をすると、色々な知恵が身につく。これが一番の収穫だった。

 

2.プライベート

夢の実現等に関わらず、恋愛ですら多くの場合は、自分との戦いであるということを知った。また、第3者ではなく、相手と自分の1:1の関係性の中で、問題が発生したり、愛情の育成を左右する要因が潜んでいることを学んだ。

 

誰かとどんなに近くに居ようと、長い時間を過ごそうと、その人の性質やスキルは取り込めないが、相手を自分の心の中に住ませることによって、それは可能になる。要は、○○だったらこの時なんと言うか、この場合どうするか?と、その人になりきって自問自答することを繰り返すことによって、そのDNAを取り込めるようになるのだ。

 

好きの関心は、無関心ということを痛いほど思い知った。

伝統的な男女の役割を果たす醍醐味を知り、家事や料理に凝るようになった。

 

 

3.知恵への投資

下田美咲さんが発売する美肌Noteを購入し実践したところ、恐らく物心がついてから一番肌トラブルが減少した。今まで何軒もはしごした皮膚科、数十万投下したエステ代はなんだったんだろうと、知恵へ投資する大切さとともに戦略性を見誤る手痛さを知った。

 

管理職レシピもなかなか秀逸で、自炊の習慣がついた上に、体調/眠気の改善がびっくりするくらい進んだ。

 

何かに挑戦して成果が出なければ、「努力しているから」と言い訳をして状況が好転するのをだらだらと待つのではなく、素早く戦略性の妥当性を確認する必要がある。

 

同時に、目標出しと、細やかな記憶、定期的な効果測定も必要不可欠だ。

 

2017年は、これらを意識して、どんどん夢を仕込み、叶えていく1年としたい。

 

恐怖を取り除くのはポジティブシンキングではなくて、ロジカルシンキング?否、やっぱりポジティブシンキング。

大好きなキングコング西野さんが、興味深いインタビューをアップしている。

 

shigotonadeshiko.jp

 

特に、下記一文には非常に共感した。

 

僕は、恐怖を取り除くのはポジティブシンキングではなくて、ロジカルシンキングだと思っています。『こうで、こうで、こうなるから、大丈夫』ということを具体的に理論立てて説明し、納得さえできれば、人はポジティブになれる。ほら、初めての海外旅行は不安だらけですが、何度か経験して、その対処法がわかっていれば不安は消えるじゃないですか? あの感じです」 

 

かのいう私も非常に不安がりで、怖がりだ。

 

「未来は大胆だね、チャレンジャーだね」と評価してくれる友人もいるけれども、とんでもない。

 

私は自分ほど保守的で安定志向の人間は珍しいのではないかと思う。

 

物心がつく頃から、私は絶対に訪れてほしくない未来に関しては、冷静に分析した上で、ありとあらゆる手段を講じて回避する布陣を敷いた。更に、事前の仕込みだけでは飽き足らず、やむを得ず起こりうる最悪なケースを数パターンを想定し、そうなってしまった際の手当も併せて準備するのが常である。

 

14歳、高校受験の時。

「滑り止め、どこにする?」と相談しあう友人を横目に、私は念には念をと、私立公立県外県内含め計8校受験した。(内7校合格)

 

21歳、就職活動の時。

「大手いけるかな…。。><」と、不安を語り合う同級生の横で、私は生活保護を含む社会保障憲法の「基本的人権の保障」について学んでいた。当時の愛読書はBIG ISSUE。「何故皆、当たり前に就職できて一生働き続けられると思うほど楽観的なのだろう…」と不思議に思いながら、最悪職が見つからなくて一時的に路上に迷うことになったとしても、何とか生き延びれる策を真剣に模索していたのである。

 

昔から海外旅行が大好きで、アフリカ大陸を含む20か国以上旅行してきたのだが、旅立つ前には必ず有事に備えて、現地の中国大使館と日本大使館(中国大使館があてにならないリスクを考慮し)の連絡先を控える。更に、急死事故死するリスクに備えて、パソコンのハードディスクの整理は絶対に欠かさない。

 

最近は、「私たち、30になってもお互い独身だったら、結婚しよっか!」としたたかに異性の知人友人に布石を打つアラサーの友人を横目に、「生涯孤独で一生を過ごすことになりそうだったら、老後は一緒に暮らそう。」と親友に打診をしたばかりである。

 

ここまで書いて、自分でも病的なのではないかと疑う。

それくらい、私は本当に、本当に、怖がりである。

 

 

以前、定期的にデートしていた異性との関係に陰りが見え、

「もしかしたら、このまま一緒にクリスマスを迎えることはないのかもしれない…」

という心配が頭をよぎった。

 

時は銀杏がきれいな10月頃であったと記憶している。

 

一年で一番大好きなイベントであるクリスマスを、どうしても、大好きな彼と一緒に過ごしたい。

 

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だけど未来の保証はできないし、どうあがいだって、

私一人では離れていく人の心を繋ぎとめることも出来ないし、冷めていく愛情を温めなおすことも出来ない。

 

私は、悩んだ。

 

そして、ロジカル的に分析した。

 

結論、「クリスマスの思い出をつくる」という目標のみにフォーカスすれば、なんとか自分一人でもコントロール可能だという結論に達し、私は既成事実の作成に奮闘した。

 

結果、なんと1か月半以上も前倒しで、なんの脈略もなく

 

「メリークリスマス!!!!」

 

早すぎる季節外れのクリスマスプレゼントとカードを差し出し、

 

「(もし、関係が続いたら)あと2回くらい一緒にクリスマス祝おうね♡♡」

 

との言葉を添えた。

 

 

このように、西野さんに言うように、ロジカルシンキングを重ねて事前にリスクを認識すれば、最悪なケースは避けられるし、最低限押さえておきたいポイントは確保できる可能性がぐんと高まるだろう。

 

これが安心に繋がるのだと言えばその通りだけれども、ここには一つ、大きな落とし穴がある。

 

それは、リスクを認識することは、ネガティブな結果に意識を集中するとほぼイコールであるため、ついつい恒常的に物事を悲観的にとらえる癖がついてしまうということだ。

 

そして、現実は思考に引っ張られる。

 

深層心理で失敗するんじゃないかと思えば、失敗する可能性が高まるし、恋が終わるんじゃないかとばかり考えていたら、不思議なことに、本当に終わってしまうケースが多くなる。

 

しっかり計算された事業計画は、最悪なPassimic Caseを回避する力を備えると同時に、Optimic Caseに上方修正する可能性も奪ってしまうのだ。

 

先ほどの彼も、想定通りにクリスマス前に振られてしまい、2度目のお祝いをする予定だったクリスマスの本番には、涙をのんだ若き日の思い出だけが残った。笑

 

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どんなに悪い結果を想定していたとしても、心の手当の準備をしていたとしても、その通りになってしまうと、やっぱりとても辛いし、とても悲しい。前倒しにお祝いしたクリスマスの思い出は、失恋の痛みまで拭ってはくれない。

 

だから、ロジカルシンキングで、賢く準備して立ち振る舞うことも悪くないけれども、

 

「きっとうまくいく。」

「わたしはきっと、大丈夫」

 

そんな風に、根拠もなく、無邪気に自分を信じる力を持つこと。

 

ほしい未来を手に入れる、最強の武器はポジティブな心にあるのだと、最近は思い直した次第である。

楽しみな予定ほど、ドタキャンされても全然構わない。

旅行の飛行機をとるときは、いつも緊張する。

名前や生年月日は間違っていないか。

日程はあっているか。

手配する立場として、本当に無事に旅行を実行させられるのか…。

 

12月中盤に台湾旅行へ行くことが決まり、Skyscannerでチケットを手配した今朝も、例に漏れず、ドキドキしながら最後の決済ボタンをエイッと押した。

 

しかし、いつもとひとつ違うことがあった。

 

それは、余りにも嬉しすぎて、楽しみで楽しみで楽しみすぎて、

チケットが取れた瞬間に旅行が実行できるかどうか、全くもってどうでも良くなったからである。

 

元々生粋の中国生まれ中国育ちの私にとって、文字も言語も全て分かってしまう台湾は、海外旅行の行先としてなんの新鮮感もない。飲茶も夜市も、東京から大阪に出掛けてたこ焼きを喰らう程度の付加価値しかない上に、昨年だけで計7か国累計4回海外旅行に出掛けてしまったため、旅行という行為自体に飽きてしまったのだ。

 

そんなコンテンツ自体に1mmもの魅力も期待もない台湾旅行だが、同行する友人が、以前、「千と千尋の隠しの舞台となった九分を見てみたい、九分が人生で一番行きたい場所なんだ」と話してくれた。

 

長年憧れていた九分を訪れて喜ぶ友人の笑顔、それは私にとっての新鮮で魅力的で期待値の高い最高のコンテンツになると確信した。

 

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そして今朝、通勤の半蔵門線の中で実際に飛行機を予約した瞬間、九分の風景と友人のはしゃぐ可愛い姿が鮮明に脳裏に浮かんだ。

 

最近仕事で色々思い悩むことがあり、昨夜など一睡もできないくらい気持ちがふさぎ込んでいたが、脳裏に浮かんだその光景が、全ての疲れと憂鬱を吹き飛ばしてくれた。そして、「今日も頑張ろう。せめて1か月後の台湾に行く日まで、しっかりと生きてやろう」と、体の奥底から熱いエネルギーが湧きあがった。

 

流れていく日常の中で、希望という名の感情を手に入れる機会はなかなかない。

 

例えこの約束が実現されなくても、先払いした数万円のチケットが無駄になったとしても、友人の笑顔を実際に見ることがなかったとしても、確かな実感を伴った希望が、たった一瞬でも、私を心底楽しませてくれたのだ。

 

それで充分だと感じた。

 

だからこそ、本当に楽しみで楽しみで仕方ない予定ほど、意外にドタキャンされても全然かまわないのだと気づいた。むしろ、昔からの約束であるほど、そして直前のドタキャンであればあるほど、長い間希望と妄想で楽しませてもらったことになる。感謝しても、お釣りが出るくらいじゃないか。

 

自分を含め人間は気まぐれな生き物だし、トランプは大統領になるし、人生何が起こるか本当に予想できない。

 

わからないからこそ、タナボタ的に外部から降ってくる「楽しいこと」ばかりに期待せずに、未来が楽しみだと思えるような、この人生をもっと生きてみたいと思えるような予定を、怖がらずに、ためらわずに、自ら積極的にどんどん仕込んでいきたい。

 

例え結果としてその予定が実現しなくても、シコシコと仕込んだ楽しみは、必ず希望のカケラとなって淡白な日常を彩ってくれる。

 

もうすぐやってくる、街がキラキラと輝く季節に合わせて。

 

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